表面上はショルツ首相が
「リントナー税務大臣(FDP)を解任」
したことが、政権崩壊の理由とされている。
しかし実はコレ、FDPが巧妙に仕組んだ計画であった。
日本では全く報道されていないので、皆さんに是非、紹介したい。
この記事の目次
ドイツ信号政権崩壊
まずはおさらいから。
そもそも主義・主張が根本から異なる三つの党からなる信号政権。
言い換えれば、独日間の国際結婚のようなもの。
うまく行く筈はなかった。
しかし離婚すると金がかかる。
面子の問題もある。
そこで
「やっぱり駄目だった。」
とわかっていても、政権担当者はいたずらに破局を先送りした。
その成果がドイツ経済の停滞だ。
ところが東ドイツの州選挙で信号政権は
「ぼろ負け」
した。
緑の党は党首が責任を取って辞任した。
SPDはブランデンブルク州で勝利したので、非難は想定内で済んだ。
問題はFDP(自由民主党)。
緑の党よりもひどい惨敗を喫した。
当然、党員は
「このままでは2025年の総選挙で国会の議席をすべて失う!」
と危惧。
党幹部が集まって現状打破の方策を協議した。
D-Day-Plan(信号政権撃沈計画)
この党幹部会議で
「FDPの信号政権からの離脱」
が採択された。
しかし、
「もうこの政府には、ついていけない!」
と自ら連立政権に終止符を打つと、
「なんという自分勝手!」
と言われて自殺行為。
そこで形の上ではショルツ首相に信号政権解消を強いる手法について、協議された。
ここで発案されたのが、
「信号政権撃沈計画」
である。
この計画書に乗っ取り、リントナー財務大臣は首相に
「経済方針の転換」
という名前の最後通牒を突き付けた。
FDP執行部はこの最後通牒を
”Torpedo”(魚雷)
と呼んだ。
隠れて敵に接近して、一気に破壊するという意味だ。
そしてその目論見は見事に成功。
ショルツ首相はリントナー財務大臣を解任して、ドイツ信号政権は崩壊した。
信号政権 沈没計画がリーク!
FDP執行部はこの
「信号政権撃沈計画」
をよりによって
”D-Day-Plan”
と命名した。
そう、第二次大戦中の連合軍のノルマンデイー上陸作戦の名前だ。
言い換えれば、ドイツの敗戦を招いた作戦だ。
信号政権の崩壊後、
「あれはFDPの仕組んだ計画だった。」
という噂が、巷でまことしやかに語れらた。
新聞社には
「党執行部は”D-Day-Plan”を準備していた。」
というタレコミあった。
新聞社がコレを記事にするとFDP執行部は、
「そんな書類は存在してない。」
と事実関係を否定。
幹事長に至っては、
「D-Dayなんてふざけた名前の計画なんて、聞いたことがない。」
と主張した。
FDP 幹事長辞任
ところがである。
新聞社に持ち込まれたネタが、あまりにも細部まで描写されていた。
ここまで状況が悪化するとFDP執行部は、
「事実が暴露されるのは時間の問題。」
と判断。
自ら”D-Day-Plan”を公表した。
そう、前日までは幹事長が
「D-Dayなんてふざけた名前の計画なんて、聞いたことがない。」
というプランが、公開されたのだ。
これほど素早く、嘘が罰せられたケースも珍しい。
幹事長は引責辞任をする羽目になった。
どうみても自業自得。
皆まで言えば、国会対策委員長も辞任に追い込まれた。
記憶にございません
幹事長が辞任すると当然、次は
「リントナー党首も知ってたんでしょ!」
と思うのは自然の理。
ところがリントナー氏は、
「記憶にございません。」
と逃げた。
党の執行部が発案・計画した
”D-Day-Plan”
は(辞任した)幹事長も知っていたのに、リントナー党首が知らないということは、あり得ない。
もしそんな党首がいれば、党を全く把握してないということになる。
党内では、
「そもそも”D-Day”という名前からして不適切」
と不満が噴出しており、
「リントナー党首も潔く辞任して、新しい執行部で総選挙に臨むべき。」
という声がたかまっている。
しかしそこは、
「エゴの塊」
のリントナー党首。
そう簡単には党首の椅子は譲らない。
結果、総選挙前にFDP内で権力争いに発展している。
自業自得だろう。
2月の総選挙で大敗を喫して、国会から消えて欲しい。