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軍産複合体 テユッセン クルップ 誕生史

投稿日:2025年11月22日 更新日:

軍産複合体 テユッセン クルップ 誕生史

ドイツが誇る軍産複合体のテユッセン クルップ 社。

米国で言えばロッキード・マーティン社、日本で言えば三菱重工業に相当する。

そこで今回はその

「ドイツを代表する大企業」

の誕生史を紹介してみよう。

鋼鉄王 クルップ

伝説的なアルフレート クルップ氏は1812年、ナポレオン占領下のエッセンで生まれる。

祖先はオランダからの宗教難民だ。

 

当時はイギリスで始まった

「産業革命の波」

が、ドイツでやっと広がりつつある時代です。

そこで父親が鉄の鋳造所を作ったんですが、全然、儲からない。

工場建設の借金のカタに自宅まで、失います。

14歳の時に父親が死去。

工場を失わずに済んだのは、お金持ちと結婚した姉のお陰でした。

産業革命の波が到達!

クルップ鋳造所を救ったのは、遂にドイツに到達した産業革命。

年代で言うと1830年代です。

1835年にはドイツで最初の鉄道が開通。

質問
何処で?

 

ニュルンベルクとフュルト間のたったの6Kmです。

運営していたのはルートビヒ鉄道会社。

 

以後、ドイツ全土に鉄道路線の開通の波が押し寄せます。

よりによって小さな町工場だったクルップ鋳造製鉄所が、世界で初めて車軸を鋳造で製造することに成功。

この発明が製鉄所を救います。

日本に産業革命が来ると労働者は文字通り、

「死ぬまで」

酷使されました。

ところがアルフレート クルップ氏は会社が利益を生むと、まずは世界で初めて健康保険を導入。

さらには

“Werkwohnung”(労働者用のアパート)

を建設して、安価な家賃で住まわせます。

私がデユッセルドルフに住んでいた頃、向かいのレンガ造りのアパートがまさにこの”Werkwohnung”。

仲が良くなったトルコ人に、中を見せてもらいました。

とても広くて、21世紀なっても家族が快適に住める環境。

その一方で、友人がトヨタの工場で

「期間工」

として働いていたんですが、住んでいた場所は

「タコ部屋」

でした。

200年前のアパートの方が、圧倒的に快適です。

クルップが幼少時代に父を失くし、家を失い、苦労したのが、労働者の待遇改善を導入するきっかけになったようです。

町工場から大企業に!

クルップ鋳造所が町工場から大企業になったのは、次の発明のお陰です。

それは

“nahtlose Radreifen”(継ぎ目のない車輪)

です。

当時、電車の車輪は溶接で製造していたんです。

が、溶接では長持ちせず、度々、故障の原因になっていました。

そこでクルップ鋳造所が世界で初めて

「継ぎ目のない車輪」

を開発。

この発明のお陰で鉄道の信用度が改善、世界中から注文が殺到。

これがクルップ帝国の始まりになった。

言わずもがな、会社ロゴは、

「3つの継ぎ目のない車輪」

です。

大砲王

クルップ鋳造所の代名詞になる

“Kanonen”(大砲)

の製造は、アルフレートの趣味が原因です。

当時、小銃の銃身は青銅製。

「鉄屋」

のクルップは、

「絶対に鉄の方が優れている。」

と確信。

趣味で鉄の銃身を制作したんです。

もっとも弾を銃身の前から込める旧式の銃だったので、鉄の銃身の利点はなかったです。

その後、大砲を鋳造で制作してプロイセン陸軍調達局に試験提供。

しかし調達局は、

「ブロンズの大砲で事は足りている。」

とそっけのない返事。

“Durchbruch”(突破)

に成功したのは次の発明品、

“Hinterlader-Kanone”(後方から装填する大砲)

です。

後装式により

  1. 装填時間が短くなり
  2. 命中精度 & 貫通力が飛躍的に向上

したんです。

このクルップの大砲は大ヒット商品に。

世界中から注文が殺到します。

そしてクルップはフランスを除いた、世界中の国にこの大砲を売ります。

プロイセンはその優れた大砲のお陰で、ドイツ統一戦争に勝利。

一番有名なのが、第一次大戦でパリを砲撃した

“Paris-Geschütz”(パリ砲)

です。

射程距離は130Km。

戦艦大和の主砲は30cm砲でしたが、クルップのパリ砲はなんと38cm。

お陰でついたあだ名が

“Kanonenkönig”(大砲王)

です。

こうしてアルフレートは、一代でクルップ帝国を作り上げます。

クルップ鋼

次なるクルップの発明は

“Krupp-Stahl”(クルップ鋼)

です。

これは簡単に言えば炭素鋼。

参照 : 炭素鋼

 

普仏戦争の勝利でドイツは、アルザスーロートリンゲンを併合。

ここから大量の鉄鉱石が産出されたんです。

でもその質が悪く、不純物が多かったんです。

この粗悪な鉄鉱石から軍需に絶える鉄鋼を作れないか?

試行錯誤の末、クルップの技術者は溶解の段階で炭素を加えたんです。

出来上がった鉄鋼は、良質の鉄鋼で作った鉄鋼より硬い、良質の鉄鋼に変身!

以来、この鋼は炭素鋼ではなく、

「クルップ鋼」

と呼ばれることに。

セロハンテープと同じ原理です。

しかし第一次大戦の敗北で、クルップ社の命運は尽きたかに見えた。

ところが連合軍は戦争賠償の目録として、大量のクルップ砲を要求してきた。

ドイツ陸軍が保有している大砲では、到底足らない数です。

皮肉なことに連合軍に賠償品を納めるために、クルップの溶解炉は息を吹き返した。

軍需産業からの撤退

第二次大戦の敗北により、ドイツは軍備の放棄を強いられた。

流石に今度ばかりは、クルップの命運は尽きたかに思えた。

ところが今度は朝鮮戦争が勃発。

米軍はクルップに大量の鉄鋼を注文。

こうしてクルップは不死鳥のように再び息を吹き返した。

ところがである。

アルフレート クルップの後継ぎは、戦争犯罪人として収監された体験から、軍需産業からの撤退を決定。

戦車や大砲を製造する会社に鉄鋼を納めることはあっても、

「クルップはもう大砲や戦車は生産しない!」

と決めた。

その代わりに民需に特化した鉄鋼を製造することとなった。

ドイツの経済成長と共にクルップ社も成長した。

ところが今度は70年代に、オイルショックがやってきた。

世界的な大不況により鉄鋼の需要が減った所に、人件費 & エネルギー費用高騰のダブルパンチ!

お陰でクルップで生産する鉄鋼は価格面で、アジアの安価な鉄鋼に負けた。

あんなに労働者を大事にしていたクルップだが、工場閉鎖を余儀なくされる。

80年代後半になってようやく会社経営が軌道に乗った。

Berthold Beitz

クルップを語る上で欠かせないのが、クルップ社の伝説的な社長の

“Berthold Beitz”(ベルトルト バイツ氏)。

氏は第二次大戦中、ナチス ドイツが

「喉から手が出る程欲しい」

石油調達の責任者に任命された。

その立場を利用してバイツ氏は数百人のユダヤ人を

“kriegsentscheidend”(戦争遂行に不可欠)

と大本営に報告。

お陰で彼の下で働くユダヤ人は戦争終結まで、収容所に送られることはなかった。

戦後、イスラエル政府はバイツ氏をその功績で表彰した。

そのバイツ氏が、

「お誕生日パーテイー」

で知り合ったのが、

”Alfried Krupp”(アルフリート クルップ)

クルップ社のお世継ぎだった。

クルップ氏は

「ウチの社長になってくれないか?」

とバイツ氏に話を持ちかける。

バイツ氏は

「いいよ。」

と返事して握手。

雇用契約書を交わす事なく、握手でクルップの社長になった。

アルフリート クルップ氏の死後、バイツ氏はクルップを守るために死ぬまで働いた。

そのバイツ氏、先見の明で

「次の危機」

を予測、対抗策を打ったのだが、、

クルップ財団

話を進める前に

“Krupp-Stiftung” (クルップ財団)

の説明をしておく必要がある。

アルフリート クルップは第二次大戦後、

「戦争犯罪」

の廉で

  • 12年の禁固刑
  • 全財産の没収

の刑に課せられた。

幸い、

「戦争遂行に加担したのは(もう亡くなった)父です!」

という言い分が認められ、6年の禁固刑に減刑された。

しかし!

「将来、クルップ家のお家継が刑務所に入らなくて済むように!」

との目的で、クルップ財団が設立された。

そのクルップ財団は、クルップ社の筆頭株主です。

会社の運営、方針決定には、クルップ財団の後押し(暗黙の承認)を受けた社長が行う。

万が一、

「また戦争」

になっても、刑務所に入るのは社長というわけだ。

クルップ財団はバイツ氏が社長の時に、設立された。

氏は社長から退いた後、初代の財団長に就任。

こうして死ぬまで財団のトップとして、クルップのかじ取りをした。

敵対買収

21世紀になってそのクルップ財団が

「将来の危機に対して予防する対抗先」

を考え出した。

それはクルップよりも大きな規模を誇るテユッセン社の敵対買収だ。

2つの大企業が合併すれば、膨大なコストカットが可能になる。

結果、製造コストが下がり、アジアからの輸入品に対しても国際競争力が高まる。

これを可能にするためバイツ氏はドイツ銀行の頭取と密かにあって、

「資金面では任せてください。」

という返事を取り付けると、

「小さな会社がでかい会社を買収する。」

という滅多にお目にかかれない敵対買収が開始された。

ところがである。

まずはクルップ社内で

「合併により、また職場が失われる。」

と批判が巻き起こった。

そしてその非難の矛先は、これを資金面で支援していたドイツ銀行に向けられた。

テユッセンの労働者は買収反対のデモを行い、ドイツ銀行の前でピーナッツをばらまいた。

軍産複合体 テユッセン クルップの誕生

あまりの社会の逆風に、あのクルップ社でも敵対買収を取り辞めた。

しかし買収されかけたテユッセン社も、

「このままでは、次の不況を乗り切れるかわからない。」

との不安から、企業合併の話をすることになった。

こうして1999年に誕生したのがテユッセン クルップ社。

参照 : thyssenkrupp

 

結果、軍産複合体の大企業が誕生した。

鉄鋼の生産は言うに及ばず、

  • 工場・生産施設を建設する建設部門
  • 電車部門
  • 製造機械部門
  • 軍需部門
  • エレベーター事業
  • その他多数

そして合併後のテユッセン クルップ社は、コストカットも効いて、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

バイツ氏も天国で喜んでいたに違いない。

-ドイツ史, 企業史

執筆者:

nishi

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