ドイツの達人になる 規則、法律

夏時間は何故なくならないのか?

投稿日:2022年2月18日 更新日:

2018年に決まった夏時間の廃止。

2019年からは面倒な時計の調整がなくなり、そして何よりも

「時差」

による体調の悪化ともおさらば!

ところが2022になっても、未だに夏時間は廃止されてない。

何故?

夏時間とは?

「夏時間」

と言われても、日本にはないのでぴんとこない。

夏時間とは3月の最後の日曜日(*1)、午前1時59分59秒になると午前2時をすっとばして、午前3時になる操作を言う。

こうしてただでも眠い春先に、貴重な睡眠時間を1時間失うことになる。

お陰で5月末頃には23時まで

「夕陽」

が残っている。

そして10月の最後の日曜日(*2)、午前三時になった瞬間に2時に戻る。

1時間長く寝れるが、それでも体は正直で

「1時間前」

に起きてしまう。

これが体調に悪影響を及ぼすことは、学者が口をそろえて主張している。

例外があるのは(多分)、夜間に働いている人。

労働時間は1時間短くなるが、お給料は一緒!

超~ブル~なのは、冬時間の始まりに勤務している人。

8時間ではなく、9時間労働になるが、お給料は一緒!

夏時間の導入

そもそも一体、誰が何の理由で夏時間なんぞ考え出したのか?

それは第一次大戦まで遡る。

「楽勝」

だった筈の戦争が長期化、総力戦(*3)になった。

国内のあらゆる資源を戦争に注ぎ込むため、戦争遂行に必要のない娯楽などは禁止された。

工場をフル稼働して兵器を生産するため(*4)、

「家庭で消費される電気を節約する必要がある。」

と参謀本部が決定して、1916年始めて夏時間が導入された。

実際、夏の長い日照時間を利用して、ものすごい量の兵器が生産された。

面白いのは当時の戦争相手の反応。

ドイツが夏時間を導入すると、イギリスとフランスも

「負けてはならぬ!」

と同様に夏時間を導入、こうして欧州全域に夏時間が広まった。

夏時間の廃止

ドイツが戦争に負けると、夏時間も廃止された。

第二次大戦が始まると、1940年、ドイツでまた夏時間が導入された。

ドイツの敗戦で夏時間が廃止になると思いきや、占領軍はこれを保持。

その後、西ドイツ政府と東ドイツ政府が、

「意味がない夏時間はやめよう。」

と同意、1949年に夏時間は廃止された。

夏時間の復活

次に夏時間が復活したのは、皆さんが想像されている通り、

「オイルショック」

の1973年。

もっともオイルショックで夏時間を復活させたのは、ドイツとフランスだけ。

経済関係が深い両国の間での時間の違いを避けかった。

すなわち!

欧州には夏時間を導入している国と、導入していない国があった。

1996年、

「EU内の時間のばらつき」

をEU全域で解消するために、現在の夏時間が導入された。

夏時間は何故なくならないのか?

では体に悪いとわかっているのに、夏時間は何故、なくならないのか?

それはEU内の意見分れが原因だ。

夏時間を正規の時間とするか、それとも冬時間を正規の時間とするかでもめている。

 

大体、27もの加盟国があるのに未だに

「全会一致」

の原則を維持してるので、こんなに簡単なことも決められない。

当分、夏時間は存続しそうだ。

Es sei denn,,

ゲルリッツ標準時間

そもそも欧州にはさまざまな

「標準時間」

があった。

これを無くすべく1893年、ドイツ第二帝国の国会で

「ゲルリッツ標準時間を中央ヨーロッパ時間にする。」

と決められた。

 

そう、今でこそイギリスが標準時間だが、当時はゲルリッツ標準時間だった。

もっとも、欧州各国はこれを無視したが。

ところがである。

第二次大戦中、ドイツがヨーロッパを占領するとスペインからウクライナまで、

「ゲルリッツ標準時間」

が占領地域で導入された(*5)。

面白いのはドイツが戦争に負けたのに、ゲルリッツ標準時間が中央ヨーロッパ時間(MEZ)と名前を変えて残った事。

ドイツに占領されなかったイギリスと、ゲルリッツ標準時間を導入するには地理上無理な、ポルトガルやウクライナなどは、今でも別の時間帯を持っている。

もし夏時間を廃止するなら、かってドイツが欧州を占領したような

「強制」

がない限り、無理だろう。

注釈

*1      すなわち土曜日の深夜です。

*2     すなわち土曜日の深夜です。

*3      東京都知事がコロナ禍で「総力戦です。」と言っていたが、本来の意味とは異なる。

総力戦は主に銃後、すなわち国民の生活に大きな犠牲を伴う。食料は配給制になり、男性は例外なく徴収、個人の財産でも戦争の遂行に必要となれば没収される。

*4       第二次大戦で「奇跡」を起こしてドイツの軍需産業を活性化したシュペーア軍需相。

その回顧録で「兵器の生産量はどんなに頑張っても、第一次大戦の量に届かなかった。」と言うほど、ものすごい量の兵器を生産した。

*5       日本軍も占領地域で日本時間を導入。お陰で東南アジアでは滅茶苦茶な時間設定になった。

-ドイツの達人になる, 規則、法律

執筆者:

nishi

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