1週間前にウクライナに侵攻したロシア軍。
そのロシア軍、圧倒的な優位を誇る軍事力を持ちながら、未だにキエフどころか
「国境街のハリコフ」
さえも掌握できていない。
ウクライナ軍が執拗な抵抗をしていることも事実だが、それ以上に大きな原因は焦ったプーチンの誤った戦略にある。
この記事の目次
プーチンが犯した戦術上の痛恨のミス
プーチンが最初に犯したミスは、ウクライナ侵攻に選んだ時期。
3月になると雪解けが始まり、大規模軍事作戦は大きく制限される。
早い話が装甲車両の移動は舗装された道路に限られて、
- 移動速度が落ちる
- 敵にとっては狙い撃ちが可能になる
だから1月に軍事作戦を始めたかったが、オリンピックがあった。
オリンピック開催中に戦争を始めて、ベラルースを除けば唯一の支援国である中国の機嫌を損ねるわけはいかない。
そこで侵攻開始時期を、オリンピック後にせざるを得なかった。
すると作戦期間は、天候次第だが最高でも30日。
この30日間に
- ウクライナ軍の抵抗力を粉砕
- ウクライナの主要都市を制圧
- ウクライナ政府首脳部を排除
しなくてはならない。
そこでプーチンはやってはらない失敗を犯した。
演習という口実でウクライナ国境に集結した軍を細かく分散、それぞれの部隊は与えられた攻撃目標に向かって侵攻を開始した。
分散攻撃の失敗
ロシア軍はウクライナ国境周辺に
「わずか20万の軍隊」
を集結しただけだった。
ドイツ軍のソビエト侵攻とは桁が違う(*1)。
プーチンはその少ない軍勢を、
- キエフ
- ハリコフ
- マリウポリ
- ウクライナ東部
に分散させて進軍させるという贅沢をやった。
首都キエフに向けて進軍させたのは、わずか3万の兵力(*2)。
ウクライナ軍が、
「ロシアの戦車を見たら右往左往して逃げ出す。」
なら正しい戦術だが、そうでない場合は攻撃が頓挫する危険を含んでいた。
そして案の定、ウクライナ軍の執拗な抵抗に遭うと、進軍がストップした。
同じことがハリコフとマウリポリで起きた。
「ロシア軍が侵攻を開始すれば、敵の抵抗は潰える。」
とウクライナ軍を過小評価した為、分散攻撃をするという戦術上の失敗を招いた。
もしロシア軍がひとつの目標に縛り、
「まずはキエフを全力で落とす。」
と主力を向けていれば、今頃はキエフを奪取して、第二の都市ハリコフに向けて進軍していただろう。
スターリングラードの教訓
1942年6月、ドイツ軍はちょうど今のウクライナ領から、夏の攻勢を開始した。
今、親ロシア派に占領されている東ウクライナ地域を素早く占領すると、最初の目標であったドン川に到達。
そこからドン川を側面防御に利用して南に転進、コーカサスの油田地域を奪うのが夏の作戦目標だった。
緒戦はうまく行った。
ドイツ軍はほぼ計画通りにドン川まで進出して、ドン川対岸の街ヴォロネジに到達した。
司令官はヴォロネジの街を迂回・包囲して南進する代わりに、正面攻撃で街を奪取しようとした。
最終的にはヴォロネジの街を奪取することには成功したが、攻撃に丸二日費やされた。
軍は再び前進を開始する前に武器弾薬 & 人員の補給を余儀なくされ、これで全体の計画に狂いが生じだ。
結果、ヴォルガ河畔のスターリングラードに達したのは9月10日。
ソビエト軍の頑強な抵抗に遭い、血なまぐさい市街戦になった。
ドイツ軍がスターリングラード攻略に
「手を焼いている」
間にソビエト軍は予備軍を集め、ドイツ軍の補給線に向けて大規模な攻勢を開始した。
補給線を守っていたルーマニア軍は壊滅。
イタリア軍は逃亡。
こうしてスターリングラードのドイツ一個軍は退路を断たれて、袋のネズミとなった。
この作戦で実に30万の軍が失われ、ドイツの敗北が決まった戦だった。
ヒトラーはその最後まで、
「ヴォロネジで失われた48時間」
と口癖のように語っていた。
都市は迂回・包囲すべし!
は戦術の初歩。
ロシア軍参謀本部は、そんなことは百も承知だ。
だからここでも、キエフを迂回・包囲するロシア軍の戦術を、予想していた。
だがプーチンが参謀本部に反対した。
「侵攻3日目でキエフ奪取!」
という三段ぶち抜きの大見出しに惹かれて、プーチンはドイツ軍の
「ヴォロネジの失敗」
を繰り返すことになった。
足らない補給
信じられないプーチンのもうひつの失敗が、ウクライナ侵攻にあたり十分な補給物資を準備していなかった事。
たった3日間、ウクライナ軍が抵抗しただけで、ロシア軍は燃料が尽きた。
まるでドイツ軍のアルデンヌ攻勢のように、ロシア軍はキエフ郊外に戦車と装甲車を残して、徒歩で後退した。
ドイツのように石油を輸入に頼っているなら、わからないでもない。
しかし産油国のロシアが十分な燃料、そして食料も準備しないで戦争を始めるなど、
「ウクライナをなめきってきた。」
証拠だろう。
迫るロシア軍の大攻勢
攻勢が頓挫して、プーチンは参謀本部の意見を受け入れるようになったようだ。(*3)
ロシアは極東からも部隊を招集して、
「キエフ包囲戦」
に向けて軍を集結させている(*4)。
当初は
「たった3万の軍勢」
だったが、報道を見る限りほぼ同じかそれ以上の軍勢を集めたようだ。
さらに!
ロシア軍は都市を正面攻撃する同じ過ちを、二度は冒さない。
ロシア全土から集めた軍勢で、キエフの包囲に出ている。
キエフが包囲されれば、西側の援助も届かない。
もしキエフが落ちれば、ロシアはその軍勢をハリコフに進めてここを包囲できる。
ハリコフが落ちれば、といった具合でウクライナ全土の掌握が可能になる。
正直、ウクライナ側にはかなり分が悪い。
ウクライナの唯一のチャンス
ウクライナがロシア軍に勝つことはない。
ウクライナの唯一のチャンスは、ロシア軍の占領を遅らせて時間を稼ぐこと。
西側の対ロ経済制裁が発効した今、ロシアの外貨準備高は日に日に減っている。
ロシア国民が日常的に使用しているクレジットカードも、もはや使えない。
ルーブル安で急激なインフレに見舞われる。
そしてロシア兵が死体となって本国に戻ってくると、
「カードが使えなくて困っちゃう。」
程度の不具合して感じてないロシア国民の怒りが、次第に増幅していく。
とりわけ
「ロシアの母親」
の抵抗をなめてはならない。
愛する息子を
「プーチンの身勝手な戦争」
で失った母は、逮捕で脅されたくらいでは抗議を辞めない。
今まで、
「ロシアの同胞を虐殺から救うため、限定的な軍事作戦を行う。」
という大嘘を聞かされたいただけに、真実を知った際のロシア国民の怒りは大きい。
その意味ではウクライナが白旗を上げずに、1日でも長く抵抗すれば、それだけロシアが真面目に停戦交渉に応じる可能性が高まる。
注釈 – 焦るプーチンが犯した戦術上の痛恨のミス
*1 ドイツ軍は300万人の兵力をもってソビエトに侵攻にした。
*2 一般的に言って、1万人の兵力で防衛されている「陣地」を奪取するには、3倍の兵力が必要とされている。
しかしキエフを防御しているウクライナ軍+市民防衛隊は数万人。ロシア軍は数の上でも劣っていた。
*3 1941年6月、スターリンは参謀本部の「ドイツの攻撃は目前に迫っている。」という警告を無視。奇襲に寝首をかかれた。
*4 第二次大戦時、ソビエトは日本軍の侵攻に備えて極東軍を配置していた。しかし、「日本軍はソビエトを攻撃しない。」との知らせを受け、極東軍をモスクワ防衛に移して防衛に成功した。