7月下旬、遂にウクライナ軍が反撃開始!
西欧のメデイアでは取り上げられていたが、日本ではほぼスルー。
もし正義というものがあるなら、ウクライナ以上に勝利を稼いだ国はない。
戦況が有利になる事を期待して、現時点での戦況を分析してみよう。
この記事の目次
消耗したウクライナ軍
ロシア軍の侵攻時、ウクライナには20万ほどの正規兵がいた。
自衛隊のほぼ倍。
これに25万人の予備役の兵隊が居たが、国外で外国人労働者として働いていたウクライナ人も多い。
開戦当初にどれだけ招集できたか、知る人ぞ知るだ。
せいぜい5万人、総勢25万人くらいだろう。
これにアゾフ連隊の活躍で知られる地方の
「民兵」
が5万人。
全部で30万人ほどだ。
が、マリウポリの包囲戦で、大多数の民兵の兵力が失われた。
さらにウクライナ軍は
「セベロドネツクツの消耗戦」
等で、2万近い兵力を失ったとみられている。
合計で3万人近い兵力を失った事になる。
30万人の軍隊で3万人の兵士を失うと、比率の上ではドイツ軍のスターリングラードの敗戦に匹敵する(*1)。
どれだけ新兵が補充されたのか知る由もないが、攻勢に出るんだから、
「そこそこの補充があった。」
と考えられる。
ヒトラーが犯した最大の過ち
1941年夏、黄号作戦は順調に進展。
ソビエトの崩壊を確信したヒトラーは、イギリスとの最後の決着に備えるため、
「東部戦線にはもう戦車は送らない。」
と側近に命じたほど、敵を過小評価していた(*2)。
スターリングラードで敗北した後も、
「総力戦」
を宣言するのをためらった。
1943年にゲッペルス宣伝相が国民を扇動して総力戦を宣言する頃には、戦局は決定的にドイツに不利になっていた。
ゼレンスキー大統領の先見の明
ヒトラーの過ちを知っていたのか、それとも単に先見の明からか、ゼレンスキー大統領はロシア侵攻後、躊躇せず戒厳令を発令した。
これにより
「戦役に耐える男子」
は出国が不可能になった。
同時にウクライナ西部で新兵や予備兵、それに外国人義勇兵の訓練が始まった。
平和時、新兵の訓練には、6ヶ月かける。
戦時には4ヶ月に短縮される。
プーチンの戦争が始まって5か月が経過した。
すなわち!
毎月、数万の新兵が次々と補充されている。
その数はウクライナ軍の損失を、十分に補っている。
イギリスの軍事専門家は、これまでに戦死、あるいは負傷、捕虜になって戦線を離脱した兵士を差し引いても、ウクライナはほぼ50万人の兵力を有するとみている(*3)。
そう、開戦時よりも兵力が増えているのだ!
これはゼレンスキー大統領の先見の明の賜だ。
侵攻が始まった時に間髪置かずに総力戦を発動、長期戦を覚悟して徴兵を開始したからこそ、反撃を開始する兵力を確保できた。
ウクライナ軍 反撃開始!
長く待たれていたウクライナ軍の反撃は、南部で始まった。
攻撃目標は、公式発表を信じるなら、ヘルソン州の奪還。
ロシア軍なら攻勢の前に、
「雨あられ」
と火砲で敵の陣地をすき返す。
だが、そんな火力はウクライナ軍にはない。
その代わりに使用されたのが、米国から提供された多重層ロケットシステム”HIRMAS”だ。
当初は
「たったの4車両」
だったが、今は12車両。
今後、さらに4車両、追加で供給されるという。
ウクライナ軍はこのHirmasでロシア軍のデポ(補給処)を複数破壊すると、進撃を開始した。
ロシア軍を包囲
もっともウクライナ軍の反撃開始から1週間経っても、大きな進歩はなかった。
あるいは報道されなかった。
後で説明するがこの反攻は
「起死回生の大反攻!」
ではなく、ロシア軍の企図を妨げるのが主たる目標。
それでも
攻勢開始から10日ほど経って、
「1000名ほどのロシア軍を包囲した!」
と最初の戦果を告げた。
と思われるかもしれないが、反攻に投入した兵力・兵器を考えれば、立派なもの。
おまけに東部で後退を迫られ続けてきたウクライナ軍には、小さな勝利でも士気が回復する。
攻勢で相手の出鼻を崩す!
かってドイツ軍がソビエトに侵攻した際、ソビエト軍はドイツ軍の攻勢準備を見て取ると、局地的な攻勢を開始した。
これがコツ。
あわよくば、攻勢の為に蓄えたデポ(補給処)を破壊する。
これによりドイツ軍は度々、攻勢を遅らせる事を迫られた。
こうして時間稼ぎをしている間に、ソビエトは新しい師団を編成、武器を与えて前線に送ってきた。
すると夏季作戦のタイムテーブルが遅れ、目標に達する前に冬になる。
冬になるとロシア軍が攻勢をしかけて、ドイツ軍を押し返した。
全く同じことが、ウクライナ軍についても言える。
今、ロシア軍は
“Bachmut”
から
“Slowjansk”
に進出しようとしている。
そのロシア軍と、正面からがっつり組み合っても、勝ち目はない(*5)。
だからドンバスでは防戦に努めて、敵の進撃を遅らせる。
ルハンスク州ではウクライナ軍総司令部は失敗を犯した(*6)が、司令部は失敗から学んだようだ。
ウクライナ軍 ドネツク攻勢開始!
そうかと思えばウクライナ軍は、ロシア軍の占領地域にあるドネツクに向けて、反攻を開始した。
ドネツクはロシア軍の進撃ルートの
“Flanke”(端っこ)
にある。
ドイツ語で
“flankieren”(端っこを突く)
という表現がある通り、敵の戦線の端っこを突くのは戦術の基本中の基本(*6)。
同時にこの攻撃は、先に開始されたヘルソン州への反攻からの注意をそらすという大事な役目もある。
戦術の基本として、攻撃には必ず本当の企図を隠すための助攻撃を伴う。
攻撃を二か所で仕掛けることで、ロシア軍にはヘルソン州奪還攻撃と、ドネツク反攻、どちらが主攻撃でどちらが助攻撃なのかわからない(*7)。
これでは援軍をどちらに遅ればいいのかわからない。
誰がこの反攻を考案したのかわからないが、まるで砂漠のキツネのような賢い戦術だ。
ロシア軍は今、デポ(補給処)を破壊された事で補給に窮している。
今後のウクライナ軍の反攻に期待したい。
仮にウクライナがヘルソン州を奪還すれば、ロシアも兵力が付きかけているので、
「一時停戦」
になる可能性も出てくるからだ。
注釈
*1 約300万のドイツ軍の内、30万人がスターリングラードで失われた。
*2 プーチンと全く同じ。
*3 内、5000人の女性兵士が前線で戦っている。
*4 セベロドネツクの教訓だ。
*5 ヒトラーは「この大戦で決定的な失敗を数多く犯した方が、負ける。」と予言。大当たりした。
*6 敵の戦線のど真ん中を攻撃するのは乃木大将だけ。
*7 通常は助攻撃を最初に開始、主攻撃は数日遅れて始まる。