オーストリア政府は老朽化した海軍の潜水艦を引退させ、
「世界で一番モダンな潜水艦」
を装備する事を決定した。
発注額は340億ユーロ。
邦貨で4,3兆円。
この潜水艦売り込み競争は、日独仏の三つ巴の戦となった。
そしてその結果は、誰も予想していない結果となった。
この記事の目次
ドイツ一の軍需産業 クルップ
数多いドイツの軍需産業の中でも、ドイツ一の軍需産業は鉄鋼王クルップが作り上げた一大帝国、クルップ社だ。
19世紀、クルップ社は世界で最初の鉄鋼製の野戦砲を開発した。
この野戦砲を装備したドイツ陸軍は、青銅で作られた野戦砲を使用していたデンマーク軍を粉砕した。
その後、クルップ社は後部装填砲を世界で最初に開発した。
この大砲でフランス軍を席巻して、ドイツ第二帝国の成立を可能にした。
第一次大戦の敗北後、戦勝国は戦争賠償金としてクルップ製の大砲を要求した。
その結果、閉鎖されていたクルップは解体されるどころか、早々によみがえった(*1)。
ところが第二次大戦の敗北は、クルップ社を大きく転換させることになった。
テュッセン クルップ 海軍造船部門
クルップ社の軍需部門の多くは戦後、操業再開に至らず廃業となった。
しかし戦後のクルップ社中でも大きな役割を果たしていたのが、同社の海軍造船部門だった。
長年クルップ社の取締役を務めてきたバイツ氏は、ライバルのテュッセン / Thyssen 社と合併後も、クルップ社の軍需部門からの撤退を望んでいた。
軍需部門からの撤退と言っても、そうは簡単にはいかない。
数万人の雇用が、海軍造船部門の運命にかかっている。
なのに、
「もう潜水艦は作りません。」
という形で軍需部門から撤退することはできない。
理想的なのは、同社の海軍造船部門を売却すること。
それには潜水艦の受注、それも大量受注が欠かせない。
潜水艦の受注が取れれば、会社が高く売れるからだ。
2013年、同社はシンガポール海軍から2隻の潜水艦の受注を受けたが、注文額は10億ユーロを超える
「やや大きめ」
の注文だった。
ところがテュッセン クルップ社は、スウエーデンで大きなミスをした。
テュッセン クルップ社の犯した失敗
ロシアの脅威にさらされている北欧の大国は、軍需予算も大きく、ドイツの軍需産業にとって大事な顧客のひとつだ。
将来の受注を確保すべく2005年、テュッセン クルップ社はスウエーデンの潜水艦造船所を買収した。
その後、潜水艦の建造はすべてドイツ国内で行われ、スウエーデンからは一隻として潜水艦が輸出されることはなくなった。
こうしてスウエーデンは大事な輸出製品に加えて、潜水艦建造技術まで失った。
怒ったスウエーデン政府は、
「今後、テュッセン クルップ社には潜水艦の受注はしない。」
と声明を出し、政府は同国の誇る軍需企業、Saabに国産の潜水艦の製造を命じた。
しかし同社にはまだ有人潜水艦の造船技術がない。
そこでテュッセン クルップ社から技術者をスカウトし始めた。
お陰で同社は将来、スウエーデンという上客を失うばかりか、競争相手まで作ってしまいそうだ。
オーストラリア政府 12隻もの潜水艦を日本に注文?
スウエーデンに代わる潜水艦の輸出先を探している矢先、
「オーストラリア政府が12隻もの潜水艦を日本に注文する!」
という話を聞きつけた。
オーストラリア政府はかって、
「独自の軍需産業を作って、自国の軍隊を自国の装備で武装する。」
という幻想を描き、国営の軍需企業、”Australian Submarine Corporation”、通称、ASC を作った。
ところがノウハウがないのに、会社を作ればいいというものではない。
2014年にオーストリア海軍に納入する予定だった対空ミサイルは、目を覆いたくなるような失態続きで未だに完成してない。
もっとひどいのは同社がSaabと共同開発、海軍に納入した潜水艦だ。
1隻の潜水艦を建造するのに、4~5年もかかった。
やっと出来上がった潜水艦はまともに機能せずいつも修理中、航海可能の潜水艦はわずか2隻。
2009年になると、航海可能な潜水艦は一隻もない状態に悪化した。
修理の後、状態は一時的に改善したが、
一度潜行すると、もう浮かびあがらない危険があり、訓練もそこそこ。
あまりの悲惨な有様に、
「ASCはカヌーさえもまともに作れない。」
と同国の国防大臣は正直に告白したが、これは正直すぎた。
オーストラリア国民の誇りを傷つけたこの大臣は、辞任に追い込まれた。
このオーストラリアが自国で生産した潜水艦は、2025年に現役から引退する事が決まった。
それまで稼動していればの話だが。
そこでアボット首相が仲のいい阿部首相に、潜水艦購入の話を持ちかけた。
日本では毎年、1隻程度の潜水艦しか建造(必要と)されず、とても高い値段になっていた。
トヨタの車だって、たったの1台しか売れないなら、とんでもない値段になる。
さらには潜水艦を建造している川崎造船と三菱重工業は、もてる建造能力を発揮できず赤字商売だった。
ここで阿部首相が武器輸出を可能にした。
両造船所にとっては、
「待ってました!」
と、期待が大きく膨らんだ(*2)。
アジアで中国が軍事力を強めている現状では、オーストラリアが軍備を増強する、しかも日本製の潜水艦を購入することは、日本の戦争遂行能力を潜在的に高めることにもなる。
米国の高官も、日本の潜水艦売却を歓迎した。
そうりゅう型 vs. U-Boot212
この話を聞きつけたテュッセン クルップ社は、政界への太いパイプを使用した。
メルケル首相はオーストリアへに飛んだ際、アボット首相と会談してドイツ製の潜水艦を売り込んだ。
その後、
「指名入札をする方法がオーストラリアの国益になる。」
と判断され、オーストラリア政府は正式に日本、ドイツ、そしてフランスの企業に入札に参加するように要請した。(*3)
入札で一番大きなチャンスをもっていたのは、日本勢だ。
あまり知られていないが潜水艦の建造では日本企業は、ドイツに勝るとも劣らない技術力を有している。
日本には、オーストラリア政府が希望している
「原子力潜水艦と比較できる能力の大型潜水艦」
にピッタリ合う潜水艦、そうりゅう型潜水艦がある。
そうりゅう型潜水艦はすでに海軍に装備されており、三菱重工と川崎造船は注文が来るのを首を長くして待っている。
一方、テュッセン クルップ社の潜水艦はすべて中型。
最新のU-Boot212型は56m、排水量は1450t。
これは日本の潜水艦の半分しかなく、オーストリア政府が希望している納入性能を満たさない。
テュッセン クルップ社のオファー
そこでテュッセン クルップ社は、まだ設計図の段階にある216型、排水量4000tで公開入札に応募した。
これではすでに存在、就役している潜水艦を持っている日本に比べて不利だ。
これまでテュッセン クルップ社が潜水艦を売り込んだ国、とりわけパキスタンやギリシャなどでは、ふんだんに賄賂が政治家に支払われた。
ところがオーストラリア政府は、汚職が少ないことで有名だ。
今回、潜水艦の納入でも結局は公開入札になったのも、政治家への利益ではなく、国への利益を優先した由縁だ。
オーストラリア政府は潜水艦の納入に加えて、自国の軍需産業への技術提供、そしてオーストラリアにおける職場の創設を望んでいる。
そこでテュッセン クルップ社は、
- 役に立たないASC造船所を買取る
- 大規模な投資を行いASCドイツの潜水艦を建造、さらには潜水艦の整備ができるようにする
- 必要な技術提供
までオファーに含めた。
これによりオーストリアの軍需産業が近代化され、職場も確保される。
さらには近隣諸国に納入されているテュッセン クルップ社の潜水艦の整備で、お金を稼ぐことができるというわけだ。
もっともオーストラリアの造船所を買い取って、潜水艦の建造 &整備できるようにすると多額の投資が必要になる。
今回の12隻の潜水艦の受注額は340億ユーロと見積もられているが、必要な投資額を考えると利益は大きく目減りする。
しかし賢いドイツ人は、オーストラリア政府が次に計画している6隻の駆逐艦の発注、注文総額100億ユーロに目を向けている。
今回の潜水艦の納入を受注、高い金を払ってASCをモダンな造船所にすれば、オーストラリア政府は6隻の駆逐艦を自国の軍需産業であるASCに受注するだろう。
自国で生産できるのに、わざわざ100億ユーロもの大型受注を外国企業に出すとは考え難い。
この二段構えの戦略で、テュッセン クルップ社の受注のチャンスは大きく膨らんだ。
テュッセン クルップ社が受注できれば、同社の軍需部門は大きな注文(顧客)を抱え、いい値で売却できる(かもしれない)。
三菱、川崎のオファー
テュッセン クルップ社の競争相手の三菱 & 川崎は、ドイツ企業と異なり法律上の足かせがあった。
確かに法律が改正されて、武器の輸出は可能になった。
が、外国への防衛技術の提供にはまだ法律上の問題があるので、現地生産というわけにはいかない。
この点で日本のオファーは、ドイツのオファーよりも魅力に欠けた。
その分、潜水艦の建造実績と米国からの密かな後押しがあった。
ところがここで日本に好意的だったアボット首相が退陣に追い込まれ、よりによってTurnbull首相が誕生した。
氏は「親独」で知られている。
「これはヤバイ。」
と日本の防衛大臣は潜水艦の現地生産を許可した。
しかし肝心(機密)な部分の製造は日本で行い、組み立てだけをオーストラリアで行うプランだ。
これではあまり魅力がない。
三菱 & 川崎はこの案でドイツに勝てるだろうか。
日独仏 潜水艦売り込み競争
世界中に武器を輸出、すでに現地生産もしているテュッセン クルップ社に比して、日本には兵器輸出の実績はほぼゼロ。
兵器の共同生産の経験も全くない。
さらには日本の潜水艦は、日本人乗務員を想定して建造されている。
この為、
「狭い」
と、オーストラリアの潜水艦乗務員には人気がない。
おまけにアメリカ一辺倒の政治のお陰で、アボット氏が退陣してらはオーストラリア政界へのコネがない。
頼みにできるのは米国の後押しくらいだ。
そんな事にはお構いなくネット上には、
「オーストラリア政府は日本に潜水艦を発注。」
などという根拠のない記事・主張であふれた。
もし本当に日本が受注できれば、長い間不景気で苦しんでいる造船業界への大きな景気対策となる。
アベノミクスが自慢できる、初めての経済効果となるかもしれない。
三つ巴の戦に買ったのは?
4月26日、オーストラリア政府は潜水艦をフランスの国営の軍需産業、DCNS に受注すると発表した。
有力候補だった日本とドイツが仲良く受注を逃したのは、少なからず驚きだった。
日本のオファーは、
「これまで外国に潜水艦を納めた実績がない。」
という点が大きなネックになった。
ドイツのオファーは、
「納入する予定の潜水艦はまだ製図の段階。」
という理由で、ドイツ案も得点できなかった。
これまで役に立たない潜水艦に悩まされていたオーストラリア政府は、唯一、納入できる潜水艦の建造、そして納入実績のあるフランス案を優先した。
最後に笑うのは?
ところがである。
2021年9月になってオーストラリア政府はフランス政府との合意を一方的に反故にした。
おフランス製の潜水艦の代わりに米国産の原子力潜水艦を導入するという。
これにフランスが怒ったのは、当たり前。
フランス政府はオーストラリアは勿論、ワシントンからも大使を召還してしまった。
何故、オーストラリア政府はフランスとの契約を破るような国際法上のタブーを行ったのだろう?
中国への脅威
オーストラリア政府の豹変の裏には、中国への脅威があった。
オーストラリアの首相が、
「コロナの源が何処にあったか調査すべきだ。」
と発言してから、中国政府はオーストラリアへの農畜産罰への注文を減らして圧力をかけ始めた。
さらには南太平洋の島を埋め立てると、次々に海軍の軍事拠点を作っている。
こうした脅威に対抗するため、デイーゼルエンジンよりも作戦遂行能力に優る原子力潜水艦を欲するようになった。
それは理解できるが、オーストラリア政府の行動はお粗末だった。
契約を反故にするならフランスと事前に協議して、潜水艦の代わりに駆逐艦の製造をフランスに出すなど、
「フランス政府の面子」
を保つ措置をすべきだった。
フランス人は
「コケにされる。」
事をとりわけ嫌うので、この争いはそう簡単には収まりそうにない。
注釈
*1 連合軍が要求したクルップの大砲の量は、「在庫」を大きく超えた。そこで賠償金を払うためにクルップは早々に操業を再開した。
*2 安倍政権が武器の輸出を法律上は可能にしたが、今日まで販売実績はゼロ。誰も日本の兵器を買いたくないという厳しい事実がある。
*3 Saab社も入札したかったが、先の失態でお声がかからなかった。