今回は愛知県の西部にある 津島 の町を紹介します。
かっては
「津島湊(つしまみなと)」
で大いに栄えました。
海運業がぽしゃってからは、門前町として栄えた町。
期待していなかったのに、見所沢山です!
この記事の目次
津島 海運業 & 門前町として栄えた愛知の湊町
名古屋人に、
「津島って知ってる?」
って聞いても、まず誰も知りません。
名古屋からたったの7Kmしか離れていないのに、、、
例外は、
「彼女が津島に住んでた。」
「昔、津島に住んでたことがある。」
という人だけ。
となれば当然、
となる筈。
実は友人の名古屋人が、
「津島の友人が、昔ながらの古~い家に住んでた。」
と言うんです。
「昔は海運業でブイブイ言わしてたから、何かあるんじゃない?」
とその気にさせるので、探検してみることに。
天王川
その前に地理と歴史の時間です。
津島は天王川の辺にあった町。
一級河川木曽川の支流です。
なんでも昔は
「川幅が300mあった。」
そうです。
この豊かな水量を利用して海運業で大いに栄えました。
なんでも
「数千艘の出船入船で活気を呈した。」
そうです。
今では愛知県の
「飛島村」
が港の収入で
「日本で一番裕福な地方自治体」
ですが、かっては津島が栄えていたんです。
天王川公園
ところがです。
木曽川の大洪水で木曽川の流れが変わり、天王川の水源が枯渇。
「水がないのに残していても仕方がない。」
と埋め立てられました。
その名残りがコレ、
池です。
正式には天王川公園です。
この陸上グランドのような池の周囲で戦前、オートバイのレースが行われていたんですよ。
この日は37度もあったので、池の周囲を回る気力なし。
9月に気温が下がったら電動自転車で探検してきます。
ただ端っこには
「津島湊跡」
らしきものもありました。
津島神社の門前町
海運業がぽしゃると、今度は津島神社の門前町として栄えたそうです。
なんでも東海地方に3000を超える
「津島神社」
があり、ここは本店。
この前、大通寺の門前町で書いた通り
お寺は儲かったんです。
ドイツ(欧州)でも
“Jakobsweg”(ヤコプス巡り)
というキリスト教の聖人のお墓を巡る、壮大な宗教ルートがあります。
ルートに載ると参拝客で栄えました。
似たようなものですね。
津島 行き方
津島には名古屋鉄道、通称名鉄でいきます。
直行便はなし。
須ケ口(すかぐち)
で乗り換え。
なんのことはない、自宅から40分かかりました。
電動自転車で行った方が早い。
これが津島駅のホームからの光景。
正面の道路をまっすぐ行けば、津島神社。
ちょっと左に折れると天王川公園。
写真中、右に見える平屋の建物はかっての西尾鉄道の津島駅。
かってはあそこに駅があったんです。
今は三菱UFJ銀行が入ってます。
昭和のかほり
私は津島駅前から左に折れて、
「今市場町通り」
を西に進むルートを選択。
そこら中に
「昭和のかほり」
が漂ってくる建物が。
ここを左に折れると、それは見事な旧家が。
屋根神様まで祭ってますね。
長珍酒造
来た道を引き返して、今度は逆方向に。
すると後ろにでかい工場がある立派な家屋。
電柱に
「長珍酒造」
とありました。
私はてっきり
「廃業してただの民家かな。」
と思ったんですが、営業中だそうです!
でも、何処にも看板出てないよ!
本当に営業しているの?
津島 レトロ通り
稀に県外からも観光(冷やかし?)客が来るのが津島のレトロ通り。
正式名称、津島下街道。
ここにはレトロなお店(跡)が目白押し!
平日の真昼間でこの有様。
人っ子ひとり通ってない。
かって栄えた町の
「お約束」
が呉服店(跡)。
屋根の木材が腐って、瓦の重みで凹んでます。
早く見に行かないと、もう倒壊してるかも?
この家は何?
看板に
「かね茂」
とあるが、ぐぐっても出てこない。
看板を見ると
なんでも天王川の堤防の下に築かれた町並みだそうです。
津島神社に向かう参道の
「道しるべ」
も残ってます。
津島 柿屋
ここら辺で、
「ここは何所?」
で方向感覚を失いました。
まあいい。
適当に歩いていると天王川公園まで来ちゃいました。
ここになんとも古風な家が。
なんと饅頭屋。
それも現役の!!
ここは柿屋饅頭さんです。
見ているそばからお客さんが。
調べると創業は明治初期。
名物はもなか。
それも明治時代から製造方法が変わらないもなか。
普通のもなかとは違います。
賞味期限は半日。
甘いもの好きは是非、挑戦してください。
私は
「タイヤキはあんこ抜きで!」
と言う程あんこが嫌い。
なので試さず。
氷室作太夫家住居
津島には
「半端なくデカイ」
屋敷がふたつあります。
そのうちのひとつがコレ、
「氷室作太夫家住居」
です。
家の前にはこんな看板があります。
調べてみると津島神社の社家。
知らなかった。
神社って世襲制なんですね~。
もっとも市には、
「保存する金がねえ!」
ようで半壊してました。
見学も禁止なので、柵の間から撮影。
津島 観光交流センター
適当に歩いていると、いかにも
「明治!」
を主張している建物が。
かっての
「津島信用金庫」
の建物です。
見て欲しいのはこの看板。
コーヒー一杯110円。
昭和で値段が止まってる!
蔵の道
レトロ通りに続く細い道は別名
「蔵の道」
と呼ばれています。
そんなに多くはないですが、かって津島が栄えていた頃の蔵が10個前後、残ってます。
もっとも町のあちこちに蔵を見かけたので、別にここでなくても見られます。
個人的には蔵の道にある長屋
それに見事に修復された旧家
に感服。
この対比がいいよね~。
津島 発祥のスーパー Yoshizuya
津島で生まれ育った人、異国で
「Yoshizuyaのコマーシャルを聞くと涙する。」
と言われています。
それほどまでに市民の愛着があるのが、津島発祥のスーパーYoshizuya です。
その旧館は津島が幼少期を過ごした懐かしい場所。
取り壊さないで保存(ほったらかし)。
名古屋市内では
「スーパーYoshizuya」
は見かけません。
イオンばかりで嫌になるので、他のスーパーにも存続して欲しいです。
昭和長屋
名古屋にもまだ偶~に残ってる昭和長屋。
もっとも次々に取り壊されてます。
長屋ファンには津島はたまらない。
そこら中に長屋が残ってます。
その数多い長屋の中でも、最高傑作がコレ。
この倒壊具合がなんとも言えない!
おまけにまだ現役!
人が住んでますよ!
素晴らしい。
心配なのは電線の配線。
モロむき出し。
昭和の頃から代わってない。
これで安全基準を満たしているの?
まとめ
かっては海運業で、その後は門前町で栄えた津島。
そこら中に立派な屋敷が残ってます。
でも少なからず空き家でした。
固定資産税が原因か?
又、
寺の向かいに寺があったりして、寺の密集度は名古屋よりも上。
犬山城下町よりも見所多し!
が津島市は、この観光資源を十分に生かし切れていない。
もっと正直に言うと、
「どうやったらいいのかわからない。」
というジレンマが見て取れる。
昨今、
「オーバーツーリズム」
が叫ばれている中、津島には誰もやって来ない。
提言
まずは地図看板をもっと多く建てて、観光資源を使いやすくするべし!
だって駅前にあるのは津島神社の看板だけ。
これじゃ駄目。
私は地図がないので適当に歩いていたら、いつの間にか津島駅前に戻ってました!
Uターンして見逃した名所を探して歩く気力もなく、帰宅。
津島神社と堀田家を見逃した!
見所が散在しているため、Z世代の為に
「津島お散歩アプリ」
の開発は必至。
さもないとただでも
「消滅自治体候補」
に挙がっている津島、消えてなくなるよ!