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ロシア軍の冬季大攻勢 物資 & 兵力損出甚大なり

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独裁者プーチンは、

「3月末までのルハンスクとドンバス全域を占領せよ!」

と軍に命令。

その命を受けたロシア軍は2月、東部戦線で冬季大攻勢に出た。

攻勢開始から1ヶ月が過ぎた今、これまでのロシア軍の成果を検証してみよう。

ロシア軍の冬季大攻勢始まる

多くの軍事アナリストは、

「ロシア軍は2月24日に冬季大攻勢を開始する。」

と宣言、見事に外した。

去年、2月末にウクライナに軍事侵攻をするという失敗を犯したロシア軍。

まずはウクライナ軍の執拗な抵抗で、進軍を阻まれた。

すると雪解けが始まり、ドイツ軍が悩まされた泥沼に進軍を止められた。

同じ轍を二年続けて踏むほど、ロシア人は馬鹿ではない(筈)。

ロシア軍は2月初めから徐々に攻勢の強度 & 頻度を挙げていき、2月中旬から東部戦線全線で大攻勢に出た。

ブレダーの殲滅戦

 

ロシア軍の主要攻撃目標の一つは、”Vuhledar”(ブレダー)だった。

すでに夏からウクライナ軍の防衛ラインに攻勢をしかけてきたが、その度に大量の死者を出して撤退。

すると翌日、また攻勢をしかけるという日露戦争の日本軍のような正面攻撃を、数か月に渡り繰り返した。

一度は防衛ラインの突破に成功したものの、ウクライナ軍の反攻で後退を迫られた。

「もう懲りただろう。」

と思っていたらプーチンが司令官に、

「いかなる犠牲を払っても、ブレダーを奪取せよ。」

と命令。

こうして起きたのがブレダーの殲滅戦だ。

ウクライナ軍は、

「ロシア軍は過去の失敗から学ばない。」

と正しく判断、戦車用地雷原を街の前面に敷設していた。

ロシア軍の戦車はこの地雷原で次々に火だるまになった。

全部で130両近い車両を失ったとみられている。

にもかかわらず司令官が、

「明日も総攻撃だ!」

と命令すると兵士が命令拒否。

ボロボロになった部隊は下げて、別の部隊に入れ替えることになった。

が、もうウクライナの銃撃から守ってくれる車両はさほど残ってない。

戦車部隊でも突破できなかったのに、生の歩兵でどれだけ戦果を出せるだろう?

バハムートの肉挽戦

バハムートの肉挽戦

ロシア軍は去年の夏からバハムートを奪取すべく、何度も攻勢をしかけた。

ロシア兵が間隙を見つけて市内に突入するも、

“Huraaaa!”

とウクライナ軍が反撃に出てロシア軍を押し返した。

半年間、この繰り返しだった。

流石に

「イワンの馬鹿」

でも、これ以上の攻撃は無駄だと悟った。

ロシア軍はバハムートへの正面攻撃を辞めて、北にある”Soledat”(ゾレダー)に攻撃の矛先を変えた。

この地域での作戦を任されていたのはロシアの私兵組織のワーグナーだったが、ろくな戦車の支援もなく、歩兵部隊を次々に投入。

それも一回や二回ではない。

第三波、第四波もの攻撃を繰り返すと、ウクライナ軍は弾薬を消耗、撤退を余儀なくされた(*1)。

同じ攻撃をバハムートへの南部でも繰り返すと、バハムートは三方を包囲されてしまった。

撤退か徹底抗戦か?

日本軍なら徹底抗戦⇒玉砕と決まってる。

が、これ以上にマズイ選択肢はない。

万歳突撃をせず、後方に撤退して戦い続ければ、敵の兵力の消耗に繋がる。

が、玉砕では機関銃の連射訓練の的になってしまうだけ。

何の意味もない犬死だ。

当然、

「賢いウクライナ軍は撤退する。」

と思ったら援軍を送って、徹底抗戦する素振りを見せている。

これでは日本軍の二の舞。

何故?

春期反攻作戦

春期反攻作戦

包囲される危険があるのに、撤退してないで徹底抗戦したほうがいいケースもある。

それは攻勢を計画しているケース。

一度敵に奪取され、陣地を築いた防衛線に攻撃をしかけると、我の損害が大きくなる。

レオパルト2型戦車があっても、これは変わらない。

だから包囲の危険があっても陣地を死守して、来る攻勢の

「橋頭保」

として利用するなら撤退しないで、徹底抗戦することも可。

とりわけレオパルト2型戦車の強みは

「機動戦」

で発揮される。

ロシア軍はまだバハムートでは塹壕を掘って陣地を築いてない。

そのロシア軍の防衛ラインの側面を戦車で突破、背面に出れば面白い事になりそうだ。

来るか独ロ戦車戦!?

もっともアナリストはウクライナ軍による

「戦車攻勢」

「南部の”Orikhiv”(オリキフ)近郊でメリトポ-ルを目標にして起きる。」

と口を揃えている。

これには一理どころか、二理もある。

仮にウクライナ軍が黒海にあるメリトポ-ルまで進撃したら、これより西側にいるロシア軍は補給から切り離される。

勿論、クリミア半島を通しての

「大回り」

の補給線は残る。

が、一本だけでは、全部隊に補給するのには無理がある。

加えて”Orikhiv”(オリキフ)は本国のロシア領からは少し遠い。

航空部隊を本国から飛ばせば、攻撃目標に辿り着くまでにウクライナ軍の標的になりやすく、制空権を思う存分生かせない。

逆にバハムートで戦車を導入すると、市街戦での戦車は格好の標的となる。

そう考えると、ウクライナ軍はバハムートで

「反撃」

を考えているのではなく、

「西側の戦車と乗務員が揃うまでの時間稼ぎ」

をしているのかもしれない。

何処でレオパルト2型戦車が投入されるにせよ、3月は雪解けで機動作戦は無理。

天気次第だが、誰もが待っているレオパルト2型戦車とロシア軍の戦車戦は4月以降になるだろう。

ロシア軍被害甚大

もうひとつ興味深い側面がある。

ロシア軍は去年の撤退で大量の装備を失った。

これが原因で冬季大攻勢にも

「腰」

が入っていない。

通常であればロシア名物の集中砲火で、敵の陣地はおろか地雷原まで

「すき返す」

のがロシア軍の戦法だ(*2)。

今回の冬季大攻勢では、そのような集中砲火が見られていない。

加えて作戦に投入される戦車も数両だけ。

ウクライナ軍も弾薬不足に悩んでいるが、物資不足はロシア軍も同じようだ。

が、ロシア軍はそれほど大きな成果を出していないのに、人命を顧みない無謀な攻勢で数万の兵力を失った。

これはちょうど1941年12月、モスクワ前面で力尽きたドイツ軍に酷似している(*3)。

ロシア軍が攻勢の勢いを失って停止した瞬間、

「待ってました!」

とウクライナ軍が反撃に出たら、疲れ切って減少した兵力でどれだけ持ちこたえられるだろう。

地面が乾いて機動作戦ができるようになれば、戦況がウクライナ有利に傾くかもしれない。

が、西側がウクライナに供給したレオパルト2型戦車はわずか50両ほど。

これで戦況が変えられるとは、なかなか信じがたいのだが、、。

注釈

*1     ドイツ軍を押し返したソビエト軍の攻勢と全く同じ方法。

*2    第二次大戦でベルリン陥落の原因となった「ゼロー高地の戦い」で、ロシア軍は文字通りドイツ軍の陣地と地雷原をすき返した。

*3    攻勢が行き詰まったドイツ軍はソビエト軍の反攻で、東部戦線が崩壊する危険にさらされた。

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執筆者:

nishi

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