名古屋とデユッセルドルフはそっくりです。
「何も見るものがない。」
という点で。
皆までいえば、
「最寄りの観光名所まで2時間かかる。」
という点でも。
両方の街に10年以上住んだ人間が言うのだから、間違いなし。
く~。
なんで行く先々がこうなの?
その名古屋の唯一の観光名所が、有松。
どんな町?
この記事の目次
有松とは?
日本語は漢字で書かれているので、読み方がわかりません。
が、有松の場合は、そのまんまです。
“Arimatsu”
と呼んでください。
古戦場の桶狭間の近くにあり、
「落武者が最初に住み始めた。」
と言われています。
その後、東海道を整備していた尾張藩が、ここに村をつくる事を決定。
名古屋市のホームページでは、
「慶長3年に開村されました。」
とあります。
名古屋市に編入
当時は狭間村の一部。
その後、有松村として独立。
明治には共和村に編入されるも、その後、独立。
その後も編入、独立という同じ課程を何度も繰り返してます。
名古屋の中心部からは結構、離れており戦後は
「知多郡」
と言う行政区分に入ってました。
知多郡とは、
「愛知県の左腕」
です。
名古屋人は知多半島と言いますが、名古屋の人間じゃないと、
「何処よそれ?」
なので、愛知県の左腕の方と呼びます。
1963年に名古屋市の南東に、
「緑区」
が新設されます。
その翌年、
「名古屋市緑区の方が観光効果がいい。」
との事で、有松村は緑区に編入。
今日に至ってます。
名産品
ぺんぺん草しか生えていない場所に開村したので、当時は田んぼもありません。
そこで誰かが考案したのが、有松・鳴海絞りです。
これが流行して、村落が豊かになったとか。
ドイツのビーバラッハと同じような
「サクセスストーリー」
です。
ちなみに有松の隣町は、
「鳴海」
という東海道の宿場町。
その宿場の間にある
「間宿」
として、そして有松・鳴海絞りの工場として栄えました。
行き方
大阪では近鉄ですが、名古屋では名鉄が私鉄のNr.1。
その名鉄が、
「有松駅」
を設置しています。
私はてっきり
「JRの有松駅」
と勘違いして、JRの駅員に、
「どうして有松の駅がないの?」
と苦情を言ってました。
恥ずかし~。
電車で30分もかかりません。
正しい駅に行けば。
有松駅に着いたら、
「町並み保存地区」
まで徒歩3分。
「道に迷う天才」
の私でも道に迷わずに到着!
有松の街並み
行く前は、
「どうせ、しょぼいんだろうな。」
と、実物を見る前からケチをつけてました。
街並み保存地区の入り口には、
「期待を裏切らない」
看板が。
ほら見たことか!
が、この先から一気に回復。
昔の風情が残ってますね~。
雨漏りしないように考えた、見事な屋根。
この家は有松でも一番有名な家屋のひとつ。
豪商の家だったようです。
今ではうどん屋(蕎麦屋だったかも?)になってました。
でも、
「手打ちうどん!」
みたいな看板がなく、風情を保ってます。
あちこちに提灯もぶらさがっており、
風情がありますね~。
通りの終わりまで歩いて、
「もっとないの?」
と法被を着たお母さんに聞くと、
「信号機の向こう側にもあるよ!」
との事。
どれどれ。
綺麗、綺麗。
立派な蔵も建ってます。
「お約束」
のお寺もあり。
その横に
「古戦場桶狭間はこちら」
という看板も。
興味があれば、歩いて見に行けます。
私は興味がないので、レンズを取り換えて、鬼瓦ハンテイング!
立派な鬼瓦ですね~。
みてください、この重厚な瓦。
いかにも
「苦労を惜しまなかった」
職人の作品です。
この、屋根先の支えにも感心。
なんだかんだと、レンズを取り換えて撮影していると、
「あっ!」
という2時間が経過。
まとめ
全然、期待していなかったせいか、良かったです。
ごく稀に
「商売してまっせ!」
という看板が出ていましたが、かっての
「間宿町」
の景観が保たれています。
まさに名古屋で唯一の観光名所です。
間違って名古屋に観光に
「来てしまった😢!?」
という方にお勧め。