日本では知られていないが、ドイツ軍は米軍と一緒に2001年、アフガニスタン派遣任務に就いた。
2006年からは北アフガニスタンの指揮を任されて、約5000人の兵士がマサイ シャリーフに駐屯していた。
ところが20年前に出兵を求めてきた米軍は、ドイツ軍と調整することもなく撤兵を始めた。
驚いた政府は大急ぎでドイツ軍の撤兵を命令。
するとドイツ軍の撤退から2か月も経たないで、アフガニスタンは再びタリバンの手に落ちた。
その際に生じたパニックは、米国のベトナム戦争敗北後のに起きたパニックと同じもの。
ドイツを含む西側諸国は、一体、何をやっていたんだろう?
この記事の目次
バイデン政権痛恨のエラー
タリバンと和平合意に達していないのにアフガンからの撤退を決め、撤兵を始めたのはトランプ政権だった。
とは言ってもバイデン政権が欲すれば、撤退を止めることは可能だった。
しかしバイデン氏は、米軍兵の帰還を選挙公約に挙げていた。
間違いなく側近からの警告はあったろうが、これを無視して撤退を進めた。
その意味ではアフガニスタンが再びタリバンの手中に落ちたのは、バイデン政権の痛恨のエラーだった。
もっとも兵士の数、装備で圧倒的に優勢だったアフガン兵は、タリバンに対して戦うそぶりも見せなかった。
その点ではバイデン大統領の言い訳、
「戦うそぶりを見せないアフガン軍では、どのみち国防は不可能だった。」
は正しい。
そもそもあのソビエトでさえ、アフガニスタンで敗北を味わった。
元を正せばアフガニスタンに入ったのがそもそもの失敗で、バイデン政権は過去の政権の
「ツケ」
を一度に支払う羽目になった。
その米国に
「御供」
してアフガンに進駐したドイツは、多大な犠牲を強いられた。
ドイツ軍 アフガニスタン撤退
2001年、シュレーダー政権がアフガンへのドイツ軍の派遣任務を決めた。
20年に及ぶアフガニスタン派遣任務は、一生直ることにない傷を負った負傷兵を度外視しても、59名の戦死者を出した。
当時の防衛大臣は
「ドイツの安全はヒンドクシュで守られる。」
と正当化(*1)、国民はこの空約束に125億ユーロの税金を払った。
20年後、トランプ政権が同盟軍と調整することなくアフガニスタンからの撤退を開始すると
「おいてけぼりはないでしょ!」
と、ドイツ軍も大急ぎで撤退プランを立案、2021年6月末までに撤退を終了した。
現地スタッフを見殺し
同盟軍が撤退後、アフガニスタンでドイツを助けた”Ortskräfte”(現地スタッフ)が殺されるのは、時間の問題(*2)。
そこでドイツ政府は1万人の現地スタッフとその家族の
「ドイツ亡命」
の準備を始めた(*3)。
外人局で滞在ビザを申請したことがあるならわが身で体験済だが、ビザの発給は極度に遅い。
ビザがないのでアフガニスタンを脱出できない中、タリバンは快進撃。
現地スタッフは、
「このままではタリバンに殺される。」
と訴えたが、内務省はビザの発給を急ぐそぶりも見せなかった。
「何事も順序・手順というものがある。」
というわけだ。
「ワクチン接種券を持った人がいないから。」
と、残ったコロナワクチンを捨てる名古屋市の職員と同じ。
官僚には、
「緊急時には特別采配」
という意識がなく、彼らが重視するのは決まりだけ。
ドイツ大使館の警告をすべて無視
ドイツの外務省、内務省が日常業務から抜け出せなかったのには、訳がある。
カブールのドイツ大使館は、
「アフガン政権は早期に崩壊する。」
と本国に向けて警告を発していた。
カブールから数千キロ離れたベルリンの外務省は現地からの警告を、
「素人の見解」
として無視した。
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やっとベルリンが事態の緊急性を理解したのは、カブールが包囲されてから。
そしてタリバンによるカブール包囲から、48時間でカブールは陥落。
歴史に残る素早い政権の崩壊だった。
ドイツ軍 国会の承認なしで出動
緊急時に慣れている米軍は、即座に大使館員などを救う空軍機の出動を決めた。
問題は
「平和ボケ」
しているドイツ軍。
国会での承認なくしては、ドイツ軍の派遣はできない。
そこで月曜まで待って(*3)
「夏休み中」
の閣僚に、
「緊急事態。ベルリンに戻れ。」
と告知。
カブールが陥落してから3日後の8月18日(水曜日)、ドイツ政府はようやくドイツ軍の派兵を閣議決定した。
それでもまだ日本政府よりもマシだったのは、
「国会での承認はあとから取ります。」
と、救出作戦を立案 & 実行に移す臨機応変な対応を示した事。
お陰で米軍より1日遅れただけで、空軍機を派遣できた(*5)。
今週、ドイツ軍の派遣は国会で決議されることになる。
カブール緊急避難始まる!
てんやわんやの末、やっとドイツ軍によるカブール緊急避難が始まった。
カブールに派遣されるのは、
「欠陥機」
として名高いエアバスのA400M(*6)。
往路は落下傘部隊と特殊部隊員600名が搭乗して、カブールに到着する。
この600名はカブールに到着後、展開して米軍と共に空港と避難民の安全を確保する。
空になったA400Mは避難民を載せ、隣国ウズベキスタンのタシケントに向かう(*7)。
ここで避難民を下ろすと、Uターンしてカブールに飛び避難民のピストン輸送を行う。
その一方で政府がチャーターしたルフトハンザの旅客機がタシケントに飛び、避難民を載せてドイツの各空港に飛ぶ。
一番最初にカブールに飛んだA400Mは二機。
一機は
「燃料不足」
でタシケントに転進したが、一機は無事、カブールに着陸(*8)。
2時間後、200名を載せてカブールを飛び立った。
タシケントに着いたドイツ人は、涙を流しながらカブール脱出までの苦難を語っていた。
その姿は第二次大戦中、ソビエト軍に包囲されたスターリングラードから飛行機で救出されたかってのドイツ兵を彷彿とさせた(*9)。
空港に入れない!
ところがである。
ドイツ政府からビザを貰っている現地スタッフでさえ、米軍に止められて空港の中に入れてもらえないという状況が生じている。
米兵は、
「米国のビザを持っている者だけ空港に入れろ。」
と命令を受けているので、ドイツのビザを持っていても(読めないので)空港に入れてもらえない。
一方、市内で隠れている現地スタッフは、タリバンが検問を敷いているので空港までたどり着けない。
又、検問で捕まり処刑される事を恐れ、パスポートなどの書類を破棄しており、絶望的な状況だ。
この状況を受けてドイツ軍は柔軟に対応、2機のヘリをアフガニスタンに派遣した。
このヘリで空港にこれない現地スタッフ、ドイツ人を市街地から救い出す計画だ(*10)。
もっともわずか2機のヘリでは、救出できる人数は限られている。
ましてやドイツ軍のヘリはよく故障するので有名(*11)。
多くの現地スタッフは取り残されることになるだろう。
失望したドイツ兵
ドイツ軍が駐屯していたマサイシャリーフがタリバンの手中に落ちた時に、すでにカブールの陥落は時間の問題だった。
あっけないカブールの陥落後、アフガニスタンに駐屯していた兵士は
「あんなに頑張ったのにすべて無駄だった。」
という失望の念に駆られた。
ドイツ軍内で、心理カウンセラーへの相談数が激増した。
「これはマズイ!」
と思ったメルケル首相、
「アフガン任務は無駄ではなかった。」
と兵士に語ったが、首相の声は空虚に響くのみだった。
責任の押し付け合戦始まる!
ドイツ政府はアフガンの事情を見事なまでに見誤った。
その筆頭が外務省。
現地のドイツ領事館から悲鳴に近い警告が届いたのに、カブールが包囲されるまで無視してきた。
外務省はその責任を問われると、
「いやいや悪いのは諜報局だよ。」
と責任の押し付け合戦が始まった。
記者から
「個人的な責任を取る用意はあるのか。」
と聞かれた外務大臣は、
「皆が過ちをおかした(ので、私だけが責任を取るのはおかしい)。」
と自己弁護。
本来ならこんな外務大臣は首相がクビにするものだが、そこは退職まで1ヶ月のメルケル首相、
「外務大臣を信頼している。」
と、選挙前に波風を立てる事を避けた(*12)。
アフガン国民大移動に備えよ!
ココだけの話、アフガン難民は人気がない。
もっとも
「人気のある難民」
は居ない。
難民は総じて好まれていないのだが、アフガン難民(男性)を受け入れると重犯罪を犯すので人気がない。
チュニジア、モロッコ、アルゲリア難民はとにかくよく盗む。
強盗や暴力事件などは
「屁」
とも思っていない輩が多い。
アフガン難民に特に多いのは、女性への性的暴行 & 殺人。
欧州の各政府は毎月、重犯罪を犯したアフガン難民を旅客機に詰めると強制送還していたが、これが不可能になった。
それだけですでに頭が痛いが、タリバンの権力掌握にアフガン国民、とりわけ男性は、ヨーロッパに向けて大移動を始めるだろう。
すでに今でもアフガン難民に手を焼いている自治体は、今後、大きな不確定要素を抱え込むことになる。
その意味では、
「ドイツの安全はヒンドクシュで守られる。」
というのは正しかった。
カブール緊急避難 あっけない終焉
数日前から、
「ISがカブールでテロを警告している。」
という諜報機関からの警告が増加。
わかりやすく言えばですよ。
同じイスラムでもスンニ派とシーア派があり犬猿の仲。
イエメンで代理戦争をやってます。
ISとタリバンも同じようなもの。
同じイスラム狂信主義者なのに、何処かが違う様子。
そのISが8月26日、空港前でテロを実行した。
ドイツ軍の死傷者は出なかったが、ドイツはこのテロを受けてカブール緊急避難を27日で終えると宣言した。
これまでに救出された現地スタッフは5000人。
半分はアフガニスタンに置き去りになった。
置き去りになった現地スタッフには、
「自力で脱出してください。」
というわけだ。
ドイツ政府がフランス政府のように、
「軍隊の撤退に合わせて現地スタッフも避難させる。」
と見通しのある政策を取っていれば、現地スタッフを見殺しにしなくても済んだろう。
破綻 日本のカブール救出作戦!
そのドイツよりもさらにひどい外国政府がひとつだけあった。
そう、日本だ。
救援機を出すのが、西側諸国より10日も遅れた。
結果、カブール市内に隠れている邦人、それに現地スタッフは空港に近づけなかった。
声援を受けて自衛隊の飛行機がカブール空港に到着しても、救出すべき日本人、現地スタッフは一人もいなかった。
ISによるテロで、自衛隊のカブール避難任務はわずか2回の飛行で終了。
合計3機の自衛隊機を派遣したのに、救出できたのは1名だけだった。
日本人の世界に例をみないほどの
「ナイーブな間隔」
が露呈した一件だった。
やればできる!韓国の救出劇
救出計画立案の時点で失敗した日本の正反対が、日本人が大嫌いな韓国の対応だった。
韓国政府はタリバンの言葉を信用せず、自ら
「空港行の特攻バス」
を現地で調達・運行して300名を超える韓国人、それに現地スタッフを救出した。
日本人と韓国人は思考がとても似ている。
似ているが故に喧嘩も多いのだが、韓国人には緊急時に
「決まり」
を超えて活動できる度胸と決断力がある。
注釈 – ドイツ軍 アフガニスタン撤退
*1 ドイツのメデイアはこの20年前の国防大臣の言葉を逆さに取り、
「ドイツの安全はヒンドクシュで失敗に終わった。」とアフガン政権の崩壊を記述した。
*2 日本のメデイアは「おでたさ」の骨頂で、「タリバン女性の立場を尊重すると発表。」と真顔で報道。
ロシアが北方領土を返還してくれるとか、北朝鮮が自主的に核兵器を放棄するとか、超~ナイーブな報道に終始している。
*3 アフガン開発支援局の職員などを数えると、現地スタッフの数は1万人。しかしドイツ政府は現役か、直近に辞めたスタッフだけに亡命を許可。2年以上前に辞めた職員と家族は救助されない。
*4 ドイツ人はロシア軍がオーダー河に集結しない限り、土日は働きません。
*5 日本政府はドイツ政府よりさらに1週間も遅れて、邦人 & 現地スタッフ救出のために自衛隊機の派遣を決めた。カブール空港では日常のように銃撃戦が発生、月曜日は死者まで出ている。
しかるに日本の官房長官は、「タリバンは国外脱出を妨げないと言っている。」と、救出を援護する自衛隊員を派遣しないでタリバン頼み。
*6 エアバス社にとって、これまでの酷評を一気に挽回できるチャンス!
*7 ドイツ政府は週末の2日間でウズベキスタン政府と調整、第三ターミナルを緊急避難のハブとして貸切った。同時にルフトハンザ機の調達。
燃料、医療、糧食、武器弾薬の補給補充も含めて、すべて2日間で手配した。日本政府だったら、1週間あっても無理だったろう。
*8 滑走路に避難民があふれており、数時間着陸できなかった。
*9 戦後、50年経って当時の脱出の様を語る老兵は、当時を思い出すと言葉が続かず、泣き崩れた。
*10 二機のヘリでは到底、全員を救い出すことは不可能。
*11 故障でヘリを運転できないパイロットは、免許を失う危機に直面。空軍は民間のヘリをチャーターして訓練をしている。
*12 まるで菅首相を支える二階幹事長のようだ。こんな政治をするから国民が政治に愛想を尽かし、右翼政党が人気を博す。