オーストリアの総選挙から5ヶ月も経ってようやく、新政権が誕生した。
それが極右政権ではなく、オーストリア史上初の三党連立政権なのだ。
以下に詳しく解説します。
この記事の目次
会議は踊る
オーストリアで総選挙があったのは2024年9月。
この選挙で勝利したのが極右のFPÖ。
そう、あのヒトラーを生んだ国でオーストリア国民は、再び極右を選んだわけだ。
「歴史から学ばない。」
とはこの事。
しかし!
極右が勝ったとは言え、過半数の議席獲得にはほど遠い。
政権奪取には連立政権を組む必要がある。
本来であれば
「連立政権協議の権利」
は、第一党に与えられる。
しかし選挙戦でナチにボロクソに非難された大統領(緑の党)、第二党の国民党に連立交渉を依頼した。
自業自得だろう。
ところがである。
「極右に政権は渡さない。」
という共通点だけしかもない3党は
- 国民党(ÖVP)
- 社会民主党(SPÖ)
- ネオス(NEOS)
連立政権協議でもめにもめた。
連立交渉破綻
まず最初にリベラル政党のネオスが
「やってらんね!」
と連立交渉の打ち切りを発表。
国民党は、
「社会民主党だけで過半数が取れる(からネオスは要らない)。」
と嘯いた。
が、24時間後には社会民主党が
「やってらんね!」
と連立交渉の打ち切りを発表。
こうして連立交渉は破綻、首相のネーハマー氏(国民党)は責任を取って辞任した。
オーストリア極右に陥落か!?
本来であればここで
「総選挙やり直し」
です。
ところがである。
30年代、ヒトラーと組んだパーペンを彷彿させる
「民主主義への裏切り行為」
だ。
連立交渉また破綻
ところがである。
今度は国民党と極右の連立交渉が破綻した。
国民党は
「内務省さえ極右に渡さなければ、あとは妥協できる。」
と考えていた。
ところが極右は、
「内務省を押さえることが最優先」
と考えた。
そう、あの
「ヒトラー第一次内閣」
で内務省を手中にしたのはナチス。
後にSSの長官になるヒムラーは内務大臣となり、警察権力で反対勢力を粛清した。
FPÖが同じ事を考えていたのは
「火を見るよりも明らか」
で、さしもの国民党もそこまで馬鹿じゃなかった。
こうして極右政党がオーストリアで政権を奪取することは避けられた。
とりあえず。
オーストリア史上初 三党連立政権 誕生
本来であれば、ここで総選挙のやり直しだ。
ところがこの前、
「やってらんね!」
と連立交渉の打ち切りを発表した社会民主党とネオスが、
「もう一回、話し合おう。」
と言い出した。
そう、
と(やっと)悟ったのだ。
かってドイツの名宰相シュミット首相は、
「政治とは妥協である。」
と言っていた。
これをやっと理解したのだ。
こうして総選挙から5ヶ月経って、ようやく三党連立政権が誕生した。
緊縮財政
しかし!
「一難去ってまた一難」
とはよく言ったもの。
オーストリアの国家財政は大赤字。
すでにEUからは
「イエローカード」
が出ている。
レッドカード(罰金)を避けるには、緊縮財政しかない。
それも、
すでに国内経済が停滞している時に、緊縮財政を引くなど
「病人に山登り」
を処方するようなもの。
オーストリア国民の不満はさらに高まる。
しかし他に選択肢がない。
間違いなくこの先、オーストリア経済は落ち目。
それともドイツの巨額のインフラ投資計画の
「おこぼれ」
に預かり、景気回復するだろうか?