プーチンの戦争が始まって1ヶ月。
大方の予想を裏切って、未だにウクライナ軍の抵抗が続いている。
抵抗が続いているどころが、ウクライナ軍は局地的に反撃にさえ出ている。
しかしロシア軍を過小評価、
「もう勝てない。」
と決めつけるのは危険だ。
あのドイツ軍だって、1944年12月の攻勢で連合軍を敗北の淵まで追い詰めた。
実際、ロシア軍は今、占領地から軍を呼び戻し新たな攻勢を計画している。
そこで今回はロシア軍がプーチンの戦争に勝つ最後のチャンス、
「ロシア軍の4月攻勢」
について、考察してみよう。
この記事の目次
ロシア軍のアキレス腱
軍事力で見ればロシアは、今でも超大国。
それはロケットやミサイルの発射ボタンを押すだけでは、戦争に勝てないから。
イラク戦争がそうだったように、最後は地上軍を投入して敵の戦闘遂行能力を叩く必要がある。
そしてその地上軍の戦闘力は、補給で決まる。
戦争は2~3日の戦闘では終わらないから。
戦闘部隊は大量に物資、燃料、食料を消費する。
戦車だって燃料と弾薬がなければ、鉄の棺桶です。
だから攻撃部隊は
「5日間」
の武器・弾薬・補給をお腹に抱えた状態で攻勢に出ます。
一般には、
「戦闘開始から3日目には、弾薬・燃料・糧食の補給を行う。」
が定石です。
一個連隊の補給には、丸1日かかります。
平時でも!
攻撃を続行しながら補給するには、部隊を
「変わるがわり」
前線から引き抜いて順番に補給するんです。
だから3日目に始めないと、攻撃が止まります。
このように速やかに補給を行い戦闘力を維持することが、戦争の行方を左右する。
ところがまさにこの点が、ロシア軍のアキレス腱だった。
何故、補給が続かない?
軍の補給物資は鉄道で運びます。
第二次大戦中、ドイツ軍が矢継ぎ早に前進する事を可能にしたのは、ドイツの鉄道部隊の活躍があったから(*1)。
ロシア軍も、
「最寄り駅」
まで鉄道で補給物資を運んでいる。
問題はここから。
前線まで数百Kmの道のりを、トラックで延々と運ぶ必要がある。
しかしそこは敵地のど真ん中で、ウクライナ軍にとって鴨葱。
ロシア軍は制空権の掌握ができておらず、補給線がトルコ製のドローンで空から攻撃される。
さらにはウクライナ軍は手ごわい戦車を通過させると、補給部隊を狙い撃ちにしている。
お陰で、
- 補給が前線まで届かない。
- 補給を運ぶトラックが足らない(*2)。
という慢性的な補給不足に陥っている。
さらに!
プーチンの唯一の同盟国であるベラルースの鉄道当局が、
「ウクライナへの輸送を辞める。」
と独裁者に抵抗。
お陰でキエフ包囲に苦心しているロシア軍は、さらに補給物資に悩む結果となった。
ちょうど津軽海峡を通過するロシア海軍の船団が報告されたが、その甲板にはトラックが満載されていた(*3)。
まさに戦地でのトラック不足を解消するための、補給部隊だった。
ウクライナ軍の反攻
戦闘には二種類あります。
すなわち攻撃と防御。
防御に成功したら
「あ~良かった。」
と安堵して終わりではありません。
直ちに攻撃に移行して、退却する敵を追撃するのが戦術のA,B,Cです。
というのも、攻撃に失敗して退却する敵はモラルが低く、
「大勝利」
できる確率が高いんです。
さらに!
退却中の敵軍はパニックに陥りやすく、武器を捨てて逃げ出すので、大量の装備をがっぽりいただけます。
そしてまさにウクライナ軍は4週間、ロシア軍の攻撃に絶えた。
ロシア軍が補給不足で攻撃力が弱まっているのを見ると、教科書通りの反攻に出た。
日本では、
「ロシア軍の進行が止まったようです。」
との報道をしていたが、これでは現状が伝わらない。
ドイツのニュースでは、
「ロシア軍は反攻に遭い、塹壕を掘り始めた。」
と報道された。
塹壕掘りを始めるのは、部隊が攻撃から防御に移行したなによりの証拠です。
もっともこれを見て、
「ロシア軍には、もう攻撃する能力がない。」
と早とちりすべきではない。
ヒトラー最後の攻勢 ラインの守り
1945年11月。
イケイケドンドンの連合軍。
将軍達は、
「クリスマス前に戦争が終わるかどうか。」
と賭けをするほど、勝利を確信していた。
ところがヒトラーは前線から部隊を引き抜いて、後方に戦車部隊を集結させると、
„Wacht am Rhein“(ラインの守り)
という攻勢の準備をしていた。
そんな事は露知らずの連合軍、
「ドイツ軍の抵抗は潰えた。」
と楽観していた。
制空権を欠くドイツ軍の攻勢に欠かせないのは、ドイツの冬に特有の悪天候。
その悪天候は、12月16日にやってきた。
補給続かず、、。
安心して深い眠りについていた米軍を、ドイツ軍の集中砲火が襲った。
14個師団、兵力にして20万のドイツ軍が、わずか8万人の米軍に襲い掛かった(*4)。
これまで
「存在するのを辞めた?」
と思わていたドイツ空軍まで作戦に加わり、敵軍を空爆した。
攻撃の先陣を行くドイツ軍の戦車部隊は、
「金魚すくい」
のように敵の防戦ラインを突破すると、マース(ミューズ)川に向けて快進撃。
当時、南ドイツで戦っていた楽観的なパットン将軍でさえ、
「この戦争に負けることは、今でもありうることだ。」
と記したほど、連合軍は敗北の瀬戸際まで逝った。
しかし!
ドイツ軍は連合軍の頑強な抵抗で、突破口を拡大できなかった。
これに加えて、
- 補給不足
- 天候の回復
が加わると、連合軍が反攻。
ドイツ軍の攻勢は失敗に終わった。
これが後に
「アルデンヌ攻勢」
と呼ばれるヒトラー最後の攻勢だった。
ロシア軍はまだ勝てる? 4月攻勢の戦略目標を指南!
ウクライナ侵攻開始からロシア軍は、1万人もの戦死者を出した。
これに負傷兵、投降した兵、逃亡兵などを含めると、戦力は2割減。
多大な犠牲を払って、ロシア軍はキエフ攻略がドイツ軍のモスクワ攻略同様に危険である事を悟った(筈)。
奇襲をかけても奪取できなかったキエフやハリコフを、西側の武器援助で武装した今になって攻撃しても、奪取することはできない。
戦術の変更が必要だ。
では、どうすればロシア軍は
「敗北の汚名」
から逃れる事ができるのか?
皮肉なことに西側の参謀本部将校が、ロシア軍に戦術の指南をしている。
ドニエプル川東岸でウクライナ軍を包囲する!
オーストリアの国防アカデミーが、分かりやすい戦況 & 戦術分析をやっている(*5)。
ここで解説されている通り、ロシア軍の侵攻作戦は南部では
「比較的」
うまく行っている。
「これを利用しない手はない!」
というわけだ。
現在、ウクライナ軍の主力は
- キエフ近郊
- ドニエプル川の東岸
に展開されている。
キエフ近郊の軍を1とすれば、ドニエプル川東岸の軍は2。
この第二軍が、
- 北から南進するロシア軍
- 南から北進するロシア軍
- 東部から西進するロシア軍
の進行を成功裡に妨害している。
オーストリア軍の参謀将校はこの状態を逆に利用して、ロシア軍の主攻撃をクリミア半島からウクライナ軍の後方、ドニエプル川に沿って北に向けて進軍させることを提案。
そうすればウクライナ軍の大軍が、袋のネズミとなる。
ウクライナ軍がロシア軍の企図を知って退却しようにも、海のようなドニエプル河がある。
ここでウクライナ軍の半分が包囲されれば、ウクライナ軍には大打撃だ。
プーチン大帝?
ただし!
この攻撃が成功するのには、主攻撃に十分な
「重さ」
が必要だ。
その重さを与えるために必要のない戦線、キエフ & ハリコフ包囲、それにミコライフ攻撃からロシア軍を引き上げる。
引き上げた軍と占領地から呼び寄せた軍を使い、4月攻勢でクリミア半島から一気に攻勢を開始する。
もしロシアが主攻撃に必要な兵力を集めることができれば、南部は補給が比較的うまく行っているので、4月攻勢は十分に成功する可能性がある。
もっともそこは、
「犯すことができる戦術上のエラーはすべてやった。」
と揶揄されるロシア軍、あまり期待するのは酷かもしれない。
しかしもし成功すれば、独裁者プーチンは歴史に、
「プーチン大帝」
として名を残すだろう。
それとも、
「プーチン最後の攻勢」
として名を遺すことになるだろうか?
注釈
*1 ドイツとソビエトの線路は幅が異なっていた。そこでドイツの鉄道部隊は、ソビエトの路線をすべてドイツの路線に敷き直した。
*2 加えてロシア軍は「すぐ勝てる。」と楽観していたので、集めたトラックの数が少なかった。
*3 すでに前線勤務を引退した、かなり古いタイプのトラックだった。そのトラックさえ必要になるほど、ロシア軍はトラック不足に悩んでいる。
*4 皮肉なことに、ロシア軍がウクライナ侵攻に集結した兵力と酷似している。
*5 オーストリアは歴史的にも経済的にもロシアと関係が深い。