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クルツ氏 最年少でオーストリア首相に就任す

投稿日:2018年2月15日 更新日:

【若干31歳!】最年少のオーストリア クルツ首相誕生

ヒトラーを生んだ国で、若干31歳のクルツ氏が首相に就任した。

ヒトラーとの共通点は、どちらも右翼の政治家である事。

それに巧みな弁才。

もっともヒトラーの悪事の後なので、あまり露骨な右翼思想はオーストリアでも嫌われる。

そこで現代版のヒトラーは、その右翼思想をオブラートに包んで語る。

学者は氏の発言を警告をする一方で、国民は長くタブーだったテーマを堂々を語る

「ウイーンの笛吹」

に熱狂している。

社会ムードの転換点

正直、ドイツやオーストリアでは右翼思想で首相の座に就くことは不可能だ。

しかし2015年の難民危機をきっかけに、この傾向が次第に、しかしはっきりと変化を始めた。

ドイツに住むと1月~6月のお給料は税金(それに社会保障費)として没収され、7月~12月までやっと自分のために働くことになる。

ケチで名高いドイツ人はこの高い税金を、

「自分 と社会のためになる。」

と考えて我慢して受け入れれている。

ところが政府はこの税金をドイツ人のために使用せず、赤の他人(難民)のために浪費を始めた。

多くのドイツ人は

「難民の大多数は経済難民で、ドイツの社会保障で楽して生活するためにやってきている。」

と確信している。

ドイツにも助けを必要とするドイツ人が 数十万人といるのに、何故、先に経済難民を助けるのだ。

こうして社会のムードが転換を始めた。

右翼の台等

左派を除けば社会の風潮は明らかに

「難民受け入れ反対」

に変わったのに、政治家は未だに

「難民には助けを求める権利がある。」

との態度を崩さない。

国民は自分たちの声が今の政治家には届かないと感じ、これまではタブーだった右翼政党に魅力を感じるようになった。

こうして右翼政党、あるいはポプリストと呼ばれる勢力の快進撃が始まった。

「負け戦」

を目のあたりにした既存政党の反応には、2通りあった。

一番多い反応は、

「是非、その人気にあやかりたい。」

と、右翼を真似をする事。

典型的な例が英国の(元)キャメロン首相で、右よりの発言で右翼票を取り込もうとした。

その結果が”Brexit”で、キャメロン首相は責任を取って辞任した。

もうひとつは、

「今更後戻りできない。」

と、これまでの路線を(若干の修正を加えて)押し通す事。

これをやった政治家(政党)は国民の反感を買い、選挙で大敗を喫して退陣に追い込まれている。

早い話が前門の狼、校門の虎。

どちらに動いても食われる運命にある。

オーストリアの政変

そのジレンマにあったのがオーストリアのケルン首相だ

最初はメルケル首相の、

「難民はウエルカム」

支持した。

その後、支持率が低下すると難民受け入れ再作を非難するという180度の転換を成し遂げた。

すると左翼からは裏切り者と非難され、右翼からは「生半可だ。」と非難された。

この局面に “Jetzt oder nie”(こんなチャンスは二度とない!)と連立政権の解消を強いたのが、これまでの連立政権で外務大臣(その後、欧州、移民、外交大臣)に就いていたクルツ氏だった。

Sebastian Kurz

Sebastian Kurz 氏は1986年にウイーンで生まれた。

セバスチャンという名前の語源は東ローマ帝国のギリシャ語を話す地域にある。

その後、

「皇帝のように立派な」

という意味が付加されるようになった。

叔母は、第二次戦中にセルビアからウイーンに逃げてきた難民だった。

ウイーンでヒトラーの父と同じ名を持つ「ドイツ人」と結婚して、オーストリア人となった。

こうした背景があったためか、クルツ家では難民に理解があり、ユーゴスラビが分裂して戦争になると家族に難民を受け入れている。

クルツ氏はウイーン大学で法律を学んでいたが、学生時代からÖVP(オーストリア国民党)のメンバーだった。

何処で学んだのか知る由もないが、まるでヒトラーのような見事な”Rhetorik”(話術)で聴衆を魅了した。

国民党の若者で組織される派閥のトップに選出されると、大学を中退、政治家の道を歩み始めた。

2009年の任期延長ではナチス政権に負けない99%の支持率、3年後の任期延長投票ではナチスを凌駕する100%の支持率を獲得した。

25歳の若さで政務次官に就任、2年後には27歳の若さで外務大臣に就任した。

氏は27歳の若者とは思えない見事な話術で、外務大臣の重職をスキャンダルなくして難なくこなした。

クルツ氏はメルケル首相と違って大衆から隔離されておらず、大衆の願望を嗅ぎ取り、これを見事な表現で語る才能があった。

反イスラム路線

ドイツ人は多かれ、少なかれ、イスラム教に不信感を抱いている。

とりわけトルコは最大の敵。

かってウイーンを席捲しようと、トルコ軍が何度もウイーンを包囲したことを忘れてない。

右翼は短絡に、

「トルコ人は出て行け!」

と叫ぶが、話術に優れているクルツ氏は

「トルコ政府の行動は、欧州の民主主義と相容れない。トルコがそのような行動を取る限り、EU加盟交渉を 中止すべきた。」

とエレガントに表現する。

言っていることは同じなのだが、その繊細な表現にオーストリア国民は魅力された。

側面を突け!

日本と違い、西欧では右翼思想は受けない。

これまでは右翼と思われることを恐れていた市民は、クルツ氏にこれまで言えなかったことを代弁してくれる政治家を見出した。

難民がオーストリアに押し寄せてくると、 クルツ氏は当初から難民の上限ない受け入れを拒否、難民の波を国境で阻止するように主張した。

これは欧州の概念、

「助けを必要とする者は、助けてやらねばらない。」

を否定するもの。

でもカッコイイ同氏が主張すると、(ジャーナリストを除き)オーストリア国民はこの点を非難しなかった。

難民の数が増えるに比例して、オーストリア国民は政府の難民受け入れ政策に反感を覚え、同氏の人気は上昇した。

ここでオーストリアのケルン首相は突然、

「難民受け入れ派」

から

「難民受け入れ反対派」

に変身するミスを犯した。

ケルン首相が党内で孤立すると、クルツ氏の眼前に社会民主党の側面が、気持ちいいくらい開いたままだった。

クルツ氏はこの側面を突き、連立政権を解消させた。

結果、10月中旬に総選挙が行なわれることになった。

クルツ氏 最年少でオーストリア首相に就任す

選挙結果の速報が出ると、クルツ氏の国民党は第一党に躍進していた。

これまで第一党だった社会民主党は、極右翼政党と2番目の地位を争い、負けた。

ケルン首相のいきなりの方向転換により、第一党が第三の勢力にまで落ちた。

この選挙結果を見た日本のメデイアは、

「オーストリアは一気に右に寄った。」

と報道してい たが、真面目に取る必要はない。

クルツ氏は支持率を上げるのに効果があるので、右翼を強調しているだけ。

氏、及び市の家族は難民に対して、大概の日本人よりもはるかに大きな理解がある。

もし右翼発言で人気を上げる効果がなくなれば、元の保守路線に戻ってくる。

心配すべきはオーストリアの右翼ではなく、日本で当たり前になっている右翼発言だ。

 

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執筆者:

nishi

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