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ゾーリンゲンのテロ 偶然それとも歴史の皮肉?

投稿日:2024年9月11日 更新日:

ゾーリンゲンのテロ 偶然それとも歴史の皮肉?

また起きてしまった ゾーリンゲンのテロ 。

テロが起きる度に政治家は、

「個人の頭の中までは覗けない。」

と、テロを防げなかった責任を回避しようとする。

しかしゾーリンゲンのテロは、防ぐ機会が無数にあった。

以下に詳しく説明します。

ゾーリンゲンのテロリスト

警察に身柄を確保された

「ゾーリンゲンのテロリスト」

の正体のはIssa Al H.

「シリアでの名前は違っている。」

という情報もある。

が、とりあえず警察が公開している情報を使用します。

かなり老けている26歳。

2022年末にブルガリア経由でドイツにやってきて、ビーレフェルト市で難民申請を上げた。

その理由は

  • シリアで軍役を課されるのが嫌
  • 働いて故郷の家族を養いたい

というもの。

どちらも難民申請の要件を満たさない。

普通なら、ここで難民申請を蹴られて強制送還になる筈だった。

ダブリン規則

我々日本人も

「お世話」

になるドイツの外人局。

その職員の事務処理能力は、闇バイトに応募する若者と同じレベル。

わざわざ難民申請をする理由を聞いたのに、

「難民申請の審査」

をしなかった。

その代わりに

“Dublin-Regeln”(ダブリン規則)

にのっとり、ブルガリアへの送還を裁判所に申請した。

質問
ダブリン規則?

 

「難民申請は最初に入国(登録)されたEU加盟国であげるべし。」

という取り決めです。

この為、ドイツでの難民申請は不可で

「難民申請を上げるならブルガリアで!」

というわけです。

裁判所はIssa Al H.のブルガリアへの送還を許可。

するとドイツに来てわずか数か月のシリア人は、裁判所の決定に対して不服を唱えて時間稼ぎ。

あきからにドイツ国内にサポート機関があった。

外人局の大活躍

どうせブルガリアに送り返す難民に、難民申請の理由を聞く外人局の行動は理解できない。

が、裁判所が不服申請を却下した事で、

「ブルガリア送還」

が決まった。

そこで警察が難民宿泊所に行ってノックすると、部屋はもぬけの空。

そう、裁判所からの

「不服申請却下」

の手紙が届いていたので、

「逃げるが勝ち!」

と、姿をくらましてたんです。

日本の警察が下着泥棒を逮捕するときでも、そのアパートを24時間監視。

家にいる事を確認して早朝に、

「ピンポ~ン。」

する。

なのにドイツの警察は

「捕まえに行きますよ。」

という手紙をご丁寧に送った後、在宅確認もしないで難民宿泊所に行った。

あまつさえ警察は付近を捜索することもなく、

「不在でした。」

で終わり。

もっと計画的に身柄確保を行っていれば、防げたテロだった。

さらに!

難民宿泊所から逃げた時点で

「指名手配」

して捜索すべきだった。

それが規則だ。

なのに、外人局は何もしなかった。

滞在許可証の発行

逃げていたIssa Al H.は数か月後、外人局に出頭して難民として滞在許可証を申請。

外人局はどうしたと思います?

そう、滞在許可証を発行したんです。

そもそも我々日本人が外人局の指示に背いたら、

「滞在ビザは出さない。」

と言われます。

なのにこのテロリスト、Issa Al H.は送還命令から逃げた後、合法に滞在ビザをゲット!

まだこのときに身柄を拘束して、

”Abschiebeheft”(送還刑務所)

に入れていれば、ゾーリンゲンのテロは防げた。

なのにドイツの外人局の役人は、

「兵役に就きたくない。」

という理由のシリア人を認め、税金で生活させることにした。

その際に決まったのが、ゾーリンゲンの難民収容施設であった。

ゾーリンゲンのテロ

8月23日、ゾーリンゲン市は

「誕生650周年」

を祝っていた。

21時45分にその会場にやってきたIssa Al H.は、何の前触れもなくドイツ人めがけて刃渡り15cmのナイフで襲い掛かった。

その攻撃は明らかに練習済み。

体を刺さないで、首を狙って次々に刺していった。

殺害されたのは56歳、67歳の男性、それに56歳の女性。

その他、6名が重傷を負った。

狙ったのか、それとも偶然か、被害者には高年齢者が多かった。

五里霧中の警察

犯人のIssa Al H.はまんまと犯行現場から逃げおおせて、知人に匿われた。

警察は非常線を張って犯人の行方を追ったが、

「何処にいるのかわかりません。」

という有様。

翌日、非常線を張っている警察官に

「探しているのは俺だよ。」

と自首しなかったら、警察は気が付きもしなかったろう。

偶然それとも歴史の皮肉?

1993年5月、ネオナチがゾーリンゲンにある

「外国人が多く住むアパート」

に火炎瓶を投げて放火した。

この火事でトルコ人夫婦と幼い子供が3人、計5人が焼き殺された。

醜いのはその火災現場。

燃える家で助けを叫ぶ家族を、誰も助けにこなかった。

ドイツ人はネットフリックスを見ているように、ビールを片手にトルコ人一家が焼き殺されるのを眺めていた。

 

あれから31年後、またしてもゾーリンゲンで起きたテロ。

もっとも今度殺されたのはドイツ人。

テロリストのIssa Al H.が31年前の事を知る筈もなく、偶然だったろう。

が、これでまた

「ゾーリンゲンのテロ」

がひとつ増えたことになる。

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執筆者:

nishi

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