キリスト教民主同盟(以後、CDUと略)は、フリードリヒ メルツ氏を新しい党首に選出した。
「石の上にも3年」
という諺があるが、 メルツ氏は党首の座に就くまで、20年近く待たされることになった。
最近は党首が1~2年おきに入れ替わっているが、本来であればCDU党首は次期首相候補。
そこで今回はフリードリヒ メルツ党首について紹介したい。
この記事の目次
CDU 収賄スキャンダル
20世紀末、CDUは収賄スキャンダルの真っただ中(*1)。
(故)コール首相を筆頭に、党の執行部は収賄の責任を問われてほぼ総辞任に追い込まれた。
次期首相(候補)とほぼ決まっていたCDU党首のショイブレ氏も、辞任に追い込まれた。
結果、CDU党内には、
「権力の真空状態」
が生じた。
このスキャンダルの後に党首に就任したのが、(故)コール首相の
「一本釣り」
で党の中枢部に座っていたメルケル女史だった。
賄賂を受け取るほどの権力を掌握していなかったのが、幸いした。
メルケル vs. メルツの権力争いの原点
2002年、ドイツで総選挙があった。
メルケル党首は立候補したかったが、国会議員会長(*2)が反対した。
国会議員会長職は、党の国会議員をまとめる(あるいは追放する。)大事な役職。
別の言い方をすれば、CDUの首相候補になるにはこの役職に就いて、
「党内の邪魔者を排除」
することが欠かせない。
その国会議員会長に就任していたのが、フリードリヒ メルツ氏だった。
これまで
「東ドイツ出身のおかしな髪型の女性」
としてしか認識していなかったメルケル女史が、自分を追い越して党首になったばかりか、首相になろうとしているのが許せなかった。
だからメルケル党首が首相候補になるのを、国会議員会長の権力を行使して成功裡に阻止した。
これがメルケル vs. メルツの権力争いの原点になる。
メルケル党首は首相候補を断念する事を強いられたわけだが、実はこれが幸いだった。
2002年は大洪水が起きて、シュレーダー首相が
「国が面倒を見る。」
と公約、一気に人気を回復して総選挙に勝利した。
メルケル党首が立候補しても、国民に人気のないメルケル党首では勝ち目はなかった。
野に下る
CDUの敗戦に終わった2002年の総選挙後、メルケル党首は復讐に出る。
メルツ氏の役職である国会議員会長の座を要求した。
総選挙でメルツ氏が支持したシュトイバー候補が敗戦した後だっただけに、メルツ氏はこの要求に屈した。
これが2002年の出来事だ。
以来、メルケル党首は次期総選挙に向けて、邪魔者の粛清を始めた(*3)。
数年後、権力を手中にしたメルケル党首に歯向かう者は、ほとんどいなくなった。
2004年、メルツ氏はすべての役職から辞任して、
「ただの党員」
になり、野に下った。
カムバック
そのメルツ氏が政界に戻ってきたのは、2018年のメルケル首相の党首からの辞任がきっけけだ。
メルツ氏は党首に立候補したが、メルケル首相の
「息のかかった」
カレンバオアー女史に負けた。
「またしてもメルケルが俺の邪魔をした!」
と、腸が煮え来る思いだったろう。
そのカレンバオアー党首だが、ぱっとしなかった。
地方政治家として成功していたが、全国版では通用しなかった。
おかしな発言を繰り返すと、
「カレンバオアーが党首では選挙に勝てない。」
と党内で誰もが思った。
最後には党首に推薦したメルケル首相まで、カレンバオアー党首と距離を置き始めた(*4)。
こうして名物、
「党首降ろし」
が始まった。
案の定、CDUの権力地盤である地方選挙で大敗を喫すると、カレンバオアー党首は党内の圧力に負けて辞任した。
2021年、党大会が開かれて新しい党首が選出されることになった。
メルツ氏は最大の得票数を得るも、決戦投票で
「アーヘンのホビット」
の異名を持つラシェット氏に敗れた。
CDU ラシェット党首 大敗を喫す
そのラシェット党首、
「2021年の大洪水」
の被災地を訪問して、大失態を演じる。
これだけでも致命的なエラーなのに、兄弟政党 CSU(バイエルン州)党首のゼーダー氏のラシェット攻撃が、選挙戦中絶えなかった(*5)。
これで総選挙に勝ったなら、
「ラシェットの奇跡」
だったろうが、神風は吹かなかった。
総選挙での敗北後も、
「首相になるチャンスはある。」
と負けを認めなかったラシェット党首。
勿論、このまま党首に留まる意向だったが、
「ラシェットでは勝てない。」
のはどんな党員にも明確。
党内からの圧力により辞意を表明した。
フリードリヒ メルツ 3度目の正直でCDU党首に
メルツ氏は三度(みたび)、党首選に立候補した。
先の党首選でメルツ氏と争ったレットゲン氏、それに(前)首相官邸大臣のブラウン氏も党首選に立候補した。
皆までいえば両者、(前)メルケル首相の秘蔵っ子。
形の上では三つ巴の争いだったが、すでに先の党首選でも
「最大の得票数」
を得ていたメルツ氏は、第一回目の投票で62%を超える得票を獲得して、3度目の正直でCDUの党首に選出された。
メルケル首相との権力争いに敗れて、国会議員会長の座を追われてから19年。
復讐は甘かった~に違いない。
メデイアが、
「国会議員会長の座を要求するのか?」
と勝者インタビューで尋ねると、
「今はその議論をする時期ではない。」
と、うまくかわした。
勿論、メルツ氏は2025年の総選挙に向けて、国会議員会長の座を掌握する。
かって(前)メルケル首相が総選挙に出る前に政敵を粛清したように、
「メルケル派の追放」
も十分にある。
フリードリヒ メルツ
ここで簡単にフリードリヒ メルツ氏がどんな政治家なのか、紹介しておきたい。
1955年、ザウアーラントの”Brilon”という誰も知らない街の生まれ。
CDUには、学校に行っているときに党員になっている。
何か共感するものがあったのだろう。
法律家の一家に生まれたメルツ氏は、ボン大学、それにマールブルク大学で法律を学び、法律家(弁護士)になった。
職業はロビイスト。
すなわち大企業の要望を聞いて、これを政治に反映させるのが本職だ。
だったら政治家になったほうが早いと思ったのか、1989年からはCDUのEU議会議員になった。
その後、順調にキャリアを積んでドイツの国会議員になり、国会議員会長にまで出世した。
価値観は日本の自民党並みのガチガチの保守。
これ以上保守なら右翼になるくらい(*6)。
経済界への
「思いやり」
が深いのも、自民党とそっくり。
今後の課題
総選挙で敗退後、CDUは人気が低迷している。
保守派の支持層を極右政党に奪われ、経済優先支持層をFDPに奪われているためだ。
メルケル政権の16年でCDUのトレードマークだった
「保守 & 経済優先政策」
が随分、左に拠った。
メルツ氏が2025年に首相になれるかどうかは、このかっての支持層を取り戻せるかにかかっていいる。
注釈
*1 その性格は、日本大学の収賄スキャンダルにそっくり。
*2 Fraktionsvorsitz
*3 政敵の粛清は(故)コール首相仕込みで、素早く容赦なかった。
*4 米国訪問の際、メルケル首相は専用機で飛んだが、カレンバオアー党首の搭乗を拒否。
カレンバオアー党首はドイツ軍用機で、同じ会議に出席するために米国に飛んだ。
*5 首相候補指名でラシェット氏に敗れたのを根に持って、応援する筈の兄弟党の党首を攻撃した。
*6 ドイツの国会ではCDUは極右政党の隣に議席があります。