9月初旬にハリコフ州の大部分を
「電光石火」
の攻勢で、ロシア軍から奪回したウクライナ軍。
9月末、
「ドンバス地方を取り戻せ!」
と、新たな攻勢をかけた。
これが軍事専門家が異口同音に、
ハラショー!(素晴らしい)
と叫んだ
「リマン包囲戦」
だ。
今回はその作戦がどうして成功したのか、及び今後の展望について解説してみよう
この記事の目次
Blitzoffensive / 電光石火の攻勢
9月初頭に始まったウクライナ軍の反抗は、
“Blitzoffensive”(電光石火の攻勢)
と呼ばれるほど、軍事専門家をうならせた。
ゼレンスキー大統領を筆頭に、
「ヘルソン州を奪回する。」
と二カ月前から公言。
米国から提供されたハイマースを使用して、敵の補給処や橋梁を破壊。
「反抗はいつ始まる?」
と世界中が期待していると、その反抗は全く違う場所、ハリコフで始まった。
偵察衛星が発達したこの21世紀に、どうやってウクライナ軍がその
「企図」
を秘匿することができたのだろう。
稀に見る見事な情報戦で、ウクライナ軍はまんまとロシア軍の裏をかいた。
戦禍の拡大
奇襲に成功した際、一番大事なのはスピードだ。
敵に新たな防衛ラインを築かせる暇を与えず、
「戦禍を拡大」
することが至上課題だからです。
ここでもウクライナ軍は
「戦術の教本」
のように果敢に行動。
装甲車両が先陣をきって敗走する敵軍を猛追して、ハリコフ州におけるロシア軍の最後の防衛ラインであるオスキル河を
「あっ!」
という間に渡河。
橋頭保を築いて、やっと進軍が止まった。
するとゼレンスキー大統領は、
「次は、ドンバス地方を侵略者から奪回する。」
と発言。
「この前の事」
もあるので、この言葉を信じていいか、西側の軍事専門家は勿論、ロシア軍も多いに悩んだ。
ロシア軍の拠点 & 補給処 リマン
先の電撃作戦でウクライナ軍は戦術上に重要な拠点 & ロシア軍の補給処、
「イジューム」
を奪回した。
まだハリコフ州に残るロシア軍の拠点 & 補給処は
“Lyman(リマン)
だ。
ここを奪えば、ただでも困っているロシア軍の補給がさらに細る。
結果、今、ロシア軍が唯一攻勢に出ている
「ドネツク作戦」
にも大いに支障をきたす。
ウクライナ軍の反攻 リマン包囲戦
こうして始まったのが、
“Lyman-Kesselschlacht”【リマン包囲戦】
だった。
当初、ウクライナ軍は橋頭保から攻勢に出て、リマンを電光石火の奇襲作戦で奪おうとした。
が、この正面攻撃はロシア軍防衛部隊の
「返り討ち」
にあってしまった。
「あのロシア軍」
が大事な補給処を守るために、ここに精鋭部隊を配置していたのだ。
そこでウクライナ軍はドイツ軍が
「芸術の域」
まで仕上げた
「包囲作戦」
に戦略を変えた。
リマン前方の部隊は引き続き
「偽の攻勢」
を続けさせ、防衛部隊の注意を惹く。
その隙に増員部隊を橋頭保に送ると、リマンの北で反攻に出た。
これがうまく行った。
ロシア軍は大事なリマンの側面防御に
「士気の低い部隊」
を配置していたのだ!
ウクライナ軍はロシア軍の防衛ラインに
「ぽっかりと大きな穴」
を開けると、その穴から次々に部隊を送り込んだ。
十分な深さの領土を奪回すると、先遣部隊はリマンに向けて南に進撃方向を変えた。
同時にリマンの南からも、ウクライナ軍が攻勢を開始した。
リマンの後ろでウクライナ軍の両部隊が、
「こんにちわ。」
と合流、リマンを包囲する作戦だ。
退却か防衛か?
「あのロシア軍」
でも、包囲される危険があるのは100も承知。
ロシア軍はウクライナ軍の南からの攻勢に対して、砲撃を浴びせて出鼻をくじくことに成功した。
結果、北からの攻勢は大いに進捗したが、南からは大きな前進はなかった。
ここでロシア軍がリマンに援軍を派遣した。
今度はウクライナ軍が
「待ってました!」
と、ロシア軍の増援部隊に雨あられと砲撃を加えた。
こうしてロシア軍の増援部隊の大部分は、
“Kanonenfutter”(大砲の餌食)
になってしまった。
この間隙を利用してリマンの南からウクライナ軍が
「やり直し攻勢」
に出ると、ロシア軍の防衛ラインを突破した。
通常の司令官なら、ここで退却の命令を出す。
が、プーチンがこれに反対した。
9月初めの反攻でハリコフ州の大部分を失い、ロシア軍は
「赤っ恥」
をかいたばかり。
ここで
「またリマンから撤退」
すると、
「恥の上塗り」
になる。
加えてプーチンはたるんでいる部隊に、気合を入れる必要があると考えた。
「リマンを死守せよ!」
と、気が狂った独裁者の命令を出した。
包囲戦が成功する要素
戦争で
「包囲戦」
が成功する要素は2つある。
- 敵軍がこちらの企図に気が付いていない
- 包囲の企図に気がついているが、退却命令が出ない
独ソ戦の初期、ソビエト軍は初めてドイツ軍の
「包囲戦」
を体験した。
一体、何が起こっているか気が付かないうちに、ソビエト軍は包囲されていた。
テイモションコ元帥が率いる50万もの軍隊が包囲されのが、その典型だ。
ソビエト侵攻の当初はまるで
「金魚すくい」
のように、包囲戦がうまく行った。
が、その包囲戦を芸術の域まで仕上げたドイツ軍が、包囲戦に遭い殲滅されることがあった。
代表的なのはスターリングラード包囲戦。
ドイツ軍参謀本部は包囲された第六軍を救出する、
「雷鳴作戦」
を準備した。
スターリングラードで戦っている軍が、西に攻勢方向を変える。
加えて西からマンシュタイン元帥が率いる救援軍が攻勢をかけて、
「救出路」
を切り開く作戦だ。
が、ヒトラーがコレを許さなかった。
「スターリングラードに運んだ装備が失われると、もう戦争に勝てない。」
という素人考えが原因だった。
さらに!
1944年6月、連合軍がノルマンデイーに上陸、強固な橋頭保を築いた。
この時点で、
「ノルマンデイーの西」
に配備されている軍隊は、呼び戻されるべきだった。
が、ここでもヒトラーが、
「一歩たりとも引いてはならん。」
と反対。
シェブールの包囲戦では、31万の将兵が罠にかかった。
このように
「包囲戦が成功」
するには
「うぶな敵」
か、狂った独裁者の判断が必要だ。
そしてプーチンはヒトラー同様に、狂った独裁者の判断を下した。
リマン撤退命 時すでに遅し?
プーチンは金曜日にやっと、
「リマン撤退令」
を出す事を許した。
その数時間後にはウクライナ軍が、
「リマン包囲の外」
に繋がる最後の道路を占領した。
この為、リマン守備隊の
「大部分」
は、まだリマンに取り残されていると思われた。
その数は5000人~5500人。
が、ウクライナ軍が占領地域の
「掃討部隊」
を進めていくと、ほとんどのロシア軍が
「網の外」
にすり抜けていたことがわかった。
残念!
実際には半日以上前に、
「リマン撤退令」
が出ていたようだ。
こうしてウクライナ軍は今年の春先にロシア軍に占領された、リマンを奪回することに成功した。
どうなる秋季作戦?
ウクライナ軍は秋雨の中に攻勢をかけて、これを見事に成功裡に導いた。
まさに賞賛もの。
問題は今後だ。
これからさらに天候は悪化する。
すなわち!
進軍に使えるのは舗装された道路のみ。
道路から外れると、装軌車でも泥沼の餌食になる。
そこで道路に集中すると、砲撃の餌食となってしまう。
この為、ウクライナ軍の
「秋季攻勢」
には、過大な期待をしないほうがいい。
リマンを奪回した後の、ウクライナ軍の攻撃目標は2つの可能性がある。
まずはロシア軍の夏季攻勢で失った、
「ルシチャンスク、セベロドネツクの奪回」
だ。
この都市の奪回に成功すれば、ロシア軍の
「夏季攻勢の成果」
を帳消しにできる。
もうひとつは、重要なロシア軍の軍事拠点
”Kreminna” & “Swatowe”
の奪取に攻勢の矛先を向ける事。
面子を重視する日本軍なら間違いなく、
「ルシチャンスク、セベロドネツクの奪回」
を目指す。
その一方でウクライナ軍は、
「まずは敵の補給路を潰す。」
という戦略を採用しており、ロシア軍の軍事拠点を目指す可能性が高い。
とりわけ
”Kreminna”
はリマンから目と歯の先。
ロシア軍がまだ防衛ラインを築いていない今、奪取するには絶好の機会だ。
”Kreminna”から50Km北にある”Swatowe”は、ルハンスク州への重要な補給路が交わる場所。
ここを取るのは、簡単にはいかないだろう。
が、”Swatowe”が奪回されれば、ルシチャンスクとセベロドネツクのロシア軍には補給に欠けることになる。
それからこの両都市に軍を進めれば、ロシア軍はどれだけ補給なしで街を維持できるだろう?
米の武器提供
ウクライナ軍の反攻に欠かせないのが、西側による重火器の提供だ。
ドイツは当てにならないが、米国は次々に新しい武器提供を発表している。
実際、米国はリマン包囲戦の真っただ中に新たな武器提供を発表した。
武器弾薬、装甲車に加えて、18基のハイマースの提供を新たに提供する。
米国がこれまでウクライナに提供していたハイマースは16基。
この16基で、ウクライナ軍は戦況を変えるのに成功した。
さらに18基が加われば、ウクライナ軍は他の戦線でもハイマースを展開できる。
地面が凍って冬季攻勢が可能になれば、ウクライナ軍が全面攻勢に出るかもしれない。
木製のハイマース
プーチンの戦争の
「ゲームチェンジャー」
になったハイマース。
ちなみにこのロケットを生産しているのは、米国で最も
「ウクライナ移民」
の多いアーカンソー州にある工場だ。
従業員は、ウクライナを助ける任務に一丸となっている。
その大事なハイマース、ロシア軍が
「破壊目標 Nr.1」
にあげると衛星で探し、確認のためにドローンを飛ばしている。
賢いウクライナ軍は、木製のハイマースを大量に生産すると、
「どうぞ!」
と、ロシア軍に見えるように展示している。
ロシア軍はまんまと騙されて、この木製のハイマースを破壊した。
皆までいえば、この
「知恵」
のオリジナルは
「砂漠のキツネ」
として知られるロンメル将軍だ。
DAK(ドイツアフリカ軍団)としてトリポリスに派遣されたロンメルは、
「戦車の数」
を倍増させるため、
「偽戦車」
を利用した。
これは車の上にかぶせる簡単なものだが、上からみたら戦車のように見える。
ロンメルはこの
「張り子の戦車」
を英国空軍に見えるように陳列させた。
英軍は
「大部隊」
が到着したと錯覚、
「敵が一番弱い段階」
で攻撃を躊躇した。
その後、ロンメルが攻勢にでると、英軍はエルアラメインまで押し戻されてしまった。
ウクライナ軍参謀本部は、過去の戦争から教訓を学んで実戦で実地している。
お見事!
ウクライナ軍 ヘルソン州でも攻勢に!
リマンの包囲戦に注意が向いていた10月2日、ウクライナ軍は
「虎の子」
である貴重な戦車部隊を投入して、ヘルソン州で攻勢に出た。
ドイツが戦車を提供してくれないので、戦車が破壊されれば、もう補給がなく終わりだから。
余程大事な作戦だったに違いない。
昼間にロシア軍の最初の防衛ラインを突破すると、ロシア軍は増援部隊を派遣した。
ここで膠着状態になると思ったら、ウクライナ軍は日本軍の伝統である
「夜襲」
に出た。
これが功を奏した。
10月3日の早朝までにウクライナ軍はロシア軍の防衛縁を突破、一晩で30Kmも敵地の奥深くに切り込んだ。
これができるのは戦車だけ。
だから戦車が攻勢には欠かせない。
今、ウクライナの戦車部隊軍はロシア軍のいない、
「空間地帯」
まで進出している。
補給が続けば、ここでも包囲戦が見られるかもしれない。