2017年4月21日、チャンピオンズリーグの試合会場に向けて BVB ドルトムントの選手、監督、トレーナーは、チーム専用の移動バスに乗り込んだ。
その様子をホテルの窓から凝視していた一人の男性。その手には携帯電話が握られていたが、有名チームの出陣を撮影するファンも多く、誰も不思議に思わなかった。
チームを乗せたバスが茂みの前にやってくると、この男性は携帯電話を操作した。
もの凄い大音響がして、爆弾がさく裂した。バスは大きく揺れ、ガラスが大破した。
殺傷能力を高めるために爆弾の中に入っていた金属片は、ガラスを破って、座席に食い込んだ。
選手2名が負傷、一人は病院で緊急手術を受けた。
この大騒ぎを確認した男性は、窓側を離れるとルームサービスに電話した。
この記事の目次
BVB ドルトムント サッカーチーム爆弾テロ事件
これが後に
「BVB ドルトムント 爆弾テロ事件」
として有名になった実験の発端だった。
当初、地元の検察局が捜査を始めたが、中央検察局がこの爆弾テロ捜査の実権を握った。
センセーショナルな事件だけに、いろんな憶測が交わされた。
ある時は、
「現場でイスラム教を示唆する犯行声明が見つかった。犯行と関係があるか調査中。」
と報道された。
日本では、
「現場でISの犯行声明分が見つかった。」
と報道された。真偽のほどがわかっていないのに、読者をたくさん引きつけて宣伝をクリックしてもらいたいために、各誌、センセーショナルな書き方にしのぎを削った。
ある日本の新聞社は想像力を膨らませ、
「サッカー選手はISの抹殺リストに上がっていた。」
とやるなど、本来の任務を忘れイスラム国のスポークスマンに成り下がっていた。勿論、全部デマである。
事件解明への手がかり – 匿名のタレコミ
この事件後、 爆破事件の標的となったサッカーチームの事務所に、匿名の垂れ込みがあった。
「ある人物が”BVB-Dortmund”の株価の下落に賭けている。」
という内容だった。
チームの事務所はこのヒントを警察に通報、警察はそのような賭け証券、”Put-Option”が扱われる”Terminmarkt”で、事件の前後にそのような賭けが出されているか調査した。
すると事件のすぐ後に、証券専用のネット銀行、”Comdirekt”の顧客がそのような証券を1500も買っていたことが判明した。
買主は28歳のロシア系ドイツ人のセルゲイ。
買い注文が出されたIPアドレスを調べてみると、このオーダーは事件後、”BVB-Dortmund”チームが宿泊しているホテルから出されていた。
これでセルゲイがこの同じホテルに泊まっていたことがわかった。
そればかりかセルゲイは、犯行現場を見渡せる部屋を予約時に要求していた。
しかし実際にチェックインしてみると、その部屋がこの要求を満たさないとわかるとレセプションに抗議、犯行現場が見える部屋に変えていた事も判明した。
テロ対策部隊 GSG9出動
これだけ状況証拠が整うと、警察は容疑者を数日に渡って監視した。
日常の生活を観察して、交友関係を把握、どこで爆発物を手に入れたのか、どこで爆発物を組み立てのか、警察の捜査で証拠固めをするためだ。
するとセルゲイ(ロシア国籍も持つ)が、ペテルスブルクへの航空チケットを購入したことがわかった。高跳びをするつもりだ。
テロ対策班は逮捕状を取ると、テロ対策の特殊部隊GSG9に容疑者の身柄を確保する命令が下った。
テロ対策の特殊部隊に遭っては素人の身柄確保などは子供の手をひねるようなもので、セルゲイはいとも簡単に身柄を確保されしまった。
爆弾テロの動機
セルゲイはテユービンゲンの暖房機を製造している会社で、電気系技師として働いていた。
しかし収入に不満で一発で大金持ちになる方法を考案した。
BVB ドルトムントは株式を公開しているが、チャンピオンズリーグで負ければ、株価が下がる。
もっとも下げ幅は1%くらいなので、大儲はできない。しかし賭け証券である”Put-Option”を買えば、効果(儲け)が数倍になる。
セルゲイはサラ金で4万ユーロ借金をして、この証券を購入した。自作の爆弾で選手が死ねば、株価が激落して大儲けできる筈だった。
ところが株価は一時下落したが、その後、上昇に転じた。哀れなセルゲイ。セルゲイが刑期を終えて出てくる頃には、購入した証券は紙くずになっているだろう。
これに加えてサッカーチームからの損害賠償の訴えも舞い込んで来るだろうから、セルゲイは28歳の若さで人生を棒に振った。
もっともこのロシア系ドイツ人、ホテルの部屋から設置していた爆弾を遠隔操作で爆破すると、ステーキを注文して爆破の成功を祝っていたと言うから、自業自得だろう。
編集後記 – BVB ドルトムント サッカーチーム爆弾テロ事件
裁判で爆弾事件の詳細が幾つか明らかになった。
例えば仕掛けた爆弾の位置が高かった為、爆破の衝撃派と金属片の多くは、バスの屋根の上を超えていった。
「爆弾の位置が低かったら、数名の死者が出て板だろう。」
と、検察はバスに乗っていた運転手を含む28人の殺人未遂で無期懲役(ドイツでは刑期25年以上が無期懲役)を要求した。
容疑者のセルゲイは爆弾を仕掛けたことを終始、否定してきた。
しかし最後には弁護士の助言を聞いて、爆弾を製造して爆破したことも認めた。検察が証拠を握っているのに、否定しても意味がないからだ。
これが効いた。判事は被告が自白した事を考慮して、14年の禁固刑を言い渡した。
参照元 : Westfälishce Rundschau
日本の裁判所は、そんな情状酌量はしてくれないが、ドイツではどんな犯罪を犯しても、裁判で謝罪、反省の色を見せると、刑が軽減されます。
もし訴えられたら、裁判で誤るのは決して遅くありません。
セルゲイはこれを不服として最高裁まで訴えたが、後で控訴を取り下げ、14年の刑期が確定した。