歴史上かってない敗北を喫したバイエルン州知事ゼーダー氏
2018年10月上旬に面積上ドイツで最も大きな州、バイエルン州にて州選挙があった。ここで何度も記事を書いているのでご存知の方が多いと思うが、そうでない方に解説しておくと、バイエルン州ではCSU(キリスト教社会同盟)党が、1957年から連続して政権にある。まるで中国の共産党のような政党だ。
中国の共産党なら他の党は禁止されているので話は早いが、民主主義が定着したドイツで61年もひとつの政党が独立政権を維持しているのは、他に例がない。
この記事の目次
長期政権の理由
ドイツでは南(そして東)に行くほど、保守的だ。とりわけバイエルン州ではまだ農耕社会の基盤がしっかり残っており、田舎の人間は見知らぬ物(者)は不信感を持って迎える。そのバイエルン人のニーズを代弁する政党として生まれたのがCSUだ。しかし女性の社会進出を歓迎しない、同姓婚を認めないなど、その保守的な党の政策は、他の地域では全く受けない。そこでこの党はバイエルン州だけに存在している、バイエルン人による、バイエルン人のための政党だ。
他のドイツ人とは異なる慣習、考え方をするバイエルン人は、理由で全国では皮肉や笑いのネタにされることが多い。しかしバイエルン人は、「俺たちの成績がいいので妬みを買っている。」と考えている。政治面ではかっては農耕社会で貧しかったバイエルンを、将来を見通した経済政策で他の州がうらやむお金持ちの州にしたCSUを、バイエルン人は共産党のように信奉している。これが理由で他の州では有り得ない長期政権が可能になった。
陰り
その長期政権に陰りが出始めたのは、2015年に大量に欧州に押し寄せた難民危機が始まりだった。農耕社会の人間は、肌の色、宗教、ましてやドイツ語も話さない人間を生理的に受け入れられない。しかしこれを声高に主張すると、「あいつはナチだ。」とレッテルを貼られてしまう。日本人には理解できないが、「ナチ扱い」されるのは、ドイツ人にとって最大の侮辱だ。そこで言いたい事をじっと我慢してきた。
この絶好の機会を利用したのがポプリストで右翼政党のAfDだった。「難民を国境で捕獲、即座に送り返せ。」なんていう子供みたいな主張から始まって、「武力を行使して国境を守れ。」などと主張、既存の政党から「歴史から何も学んでいない。」と一致団結した非難を受けた。しかしAfDはそんなことはお見通し。ドイツ国内で「AfDは危険な右翼政党。」という議論を巻き起こし、全国版のテレビで無料宣伝をしてもらうのが目的だった。
AfDの躍進
マスコミでは散々叩かれたが、これに比例して知名度、人気、そして支持者を増やしていった。中央政府の難民受け入れ政策に不満な選挙民は、唯一、自分の心情を代弁してくれるこの党にこぞって投票した。結果、AfDは各州で州議会入りを果たし、先の総選挙では大幅躍進、第三の勢力に躍り出た。
参照元 : Osnabrückerzeitung
この選挙結果を見て、「ドイツは一気に右に寄った。」と日本では報道されたが、正しくない。日本と違ってドイツでは過去の誤りを、学校でしっかり習う。ドイツではカギ十字を書いたり、「ユダヤ人虐殺行為はなかった。」と主張するだけで、書類送検される徹底振りだ。ドイツ人は「同じ間違いは、二度と起こさない。」と心底から確信しているからこそ、このような厳しい処置を取る。それでも選挙民が右翼に流れたのは、難民政策の不満を表明するのが目的だった。ドイツ人が一気に右に寄ったのではない。
猿真似
AfDの成功を見て、「俺も同じ方法で人気者になりたい。」と思う物は少なくない。政治家もしかり。これが一番顕著だったのが保守的なCSUだった。党首のゼーホーファー氏は難民問題でメルケル首相と対峙、「要求を受け入れないと連立政権を解消する。」と脅した。ゼーホーファー氏はこの対立でバイエルン州の選挙民に、「難民受け入れに反対なのは、AfDだけではない。」とパフォーマンスしたかった。しかしこれは逆効果だった。政権にある政党が、国政よりも来るバイエルン州での州選挙を優先してパフォーマンスしている姿は、嫌悪感を持って受けとめられた。
ゼーホーファー氏を州知事の椅子から引きずり下ろした皇太子のゼーダーバイエルン州知事は、党首のゼーホーファー氏と同じ間違いをおかした。市民が心配している年金問題、住宅不足問題には一言も触れず、ことあるごとに中央政府の難民政策を非難、州選挙の焦点を難民問題に集約させてしまった。そして難民問題がテーマになると、選挙民は自動的にAfDを想起、コピーではなく、オリジナルの右翼政党を信用した。
バイエルン州選挙結果
選挙前の世論調査にて、CSUは過去61年守ってきた過半数とはほど遠い、35%まで落下した。選挙のテーマの選択間違いに加え、ゼーダー州知事はバイエルン人に受けなかった。CSUはかってない敗北が待ち受けていることを予感してはいたが、インタビューでは「選挙と世論調査は別。選挙になると市民は良識に訴える。」とうそぶいた。もっともすでに選挙前から、「敗北の責任はどちらにある?」とゼーホーファー氏とゼーダー州知事が責任の押し付け合いを始めた。
そしていよいよ報道された選挙結果。CSUは世論調査よりは多少改善したものの、得票率は37%、過去最悪の選挙結果になった。
参照元 : Süddeutsche Zeitung
CSUにとってもそれでも幸いだったのは、
1.AfDの得票率は10%で、第四の勢力に留まった事
2.ドイツで最も歴史のあるSPDは10%を割って、史上最悪の選挙結果を出した事
3.FW(Freie Wähler:自由選挙民党)が第三の勢力に躍進、CSUはこの党と過半数を制する連立政権が組める事
があった。もしAfDが緑の党を抜いて、第二の勢力になっていたら、連立政権交渉は難航することになったろう。
敗北責任の擦り付け合い
当初、「選挙結果の分析は、連立政権の樹立後に行なう。」とCSUは声明を出した。すなわち歴史的な敗北の責任の所在を、はっきりさせることを避けていた。しかしゼーダー氏がテレビに映るたびに、「俺は州知事に就任して6ヶ月しか経っていない、(ので、責任は他にある。)」と繰り返した。これがまだ党首のゼーホーファー氏に逆鱗に触れた。「お前が望むなら、選挙結果の分析を行なおうじゃないか。」と暗にゼーダー氏の解任を示唆、権力争いがピークに達してる。
参照元 : Spiegel Online
ヘッセン州州選挙
そして2週間後にはヘッセン州での州選挙がある。世論調査ではメルケル首相のCDUは大幅に得票数を落とすことが予想されている。その一方でバイエルン州、及びヘッセン州はかってない好景気に沸いており、失業率は過去最低で市民は政治に満足している筈だった。しかるに選挙民は政権を担当している政党から群れをなして離脱している。
この原因はメルケル首相の政策にある。メルケル首相は2015年の無条件での難民受け入れからは方向を修整したものの、EUの根本理念である「助けを必要とする人間の受け入れを拒まない。」を政治生命をかけて遵守する気だ。首相は、「いつか国民も理解してくれる。」と信じて疑うことを知らない。しかし肝心の国民は首相の政策に愛想を尽かし、首相は支持率を失う一方だ。
長年、首相の座に居座っているメルケル首相は、大衆とのコンタクトを失ってしまった。そしてどの権力者もやるように、「自分だけが正しい判断をできる。」と考え、どこかの独裁者のように近辺にはイエスマンだけを集め、現実から逃避してしまっている。これを証明する大きな事件があった。
議員代表団長選挙
2018年9月にCDUの議員代表団長の選挙があった。これまでこの要職にはメルケル首相のイエスマン、カウダー氏が13年もの長きにわたって君臨してきた。メルケル首相は党内における権威が侵食していることを自覚しており、国会議員に大きな影響力を持つこの要職には、どうしてもカウダー氏が必要だった。これまでは任期が満期になると、他の立候補者がおらず、自動的に任期が延長されてきた。言ってみれば、日本の政治のように、水面下ですべてが決まっていた。ところが今回は事情が違った。
メルケル首相が、「カウダー氏を団長に推す。」と声明を出したのに、ブリンクハオス氏が立候補した。そして投票の結果、ブリンクハオス氏が団長に選出されてしまった。
参照元 : Spiegel Online
メルケル首相はこれによほど腹を立てたようだ。これまでは選挙後、議員代表団長と首相が会見に臨み、満面に笑みをうかべて記者からの質問に答えるのだが、今回はメルケル首相は同席せず、勝者のブリンクハオス氏だけが記者の質問に応じた。
後継者探し
仮にヘッセン州でも(メルケル首相の政策のせいで)CDUが大敗したとしよう。この12月にハンブルクでCDUの党大会があり、ここで党首が新たに選出される。9月の総選挙での敗北、さらにはバイエルン州とヘッセン州での大敗を見た党員が、果たしてどれだけメルケル首相に投票するだろうか。議員代表団長の選挙で見たように、すでに国会議員内の過半数は反メルケル派だ。過半数の党員がメルケル首相に投票するとは考え難い。
もっともそれは対立候補次第だ。対立候補に党内で人気のない政治家、例えば防衛大臣のフォン デア ライン大臣が出馬すれば、メルケル首相のチャンスは悪くない。今、CDU党内では12月に開催される党大会に向けて、密かに後継者の票集めが始まっている。