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SPD 人気投票で党首を選ぶ – 末期症状?

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SPD 人気投票で党首を選ぶ - 末期症状?

SPD 党首人気投票に立候補したショルツ氏。

(ドイツ)社会民主党 / Sozialdemokratische Partei Deutschlands 、通称 SPD は19世紀に誕生したドイツで最古の政党だ。ドイツ第二帝国、第三帝国の圧政と二度の敗戦を生き延びた、まるで不死鳥のような存在だった。

ところがここ10年間、支持率は下降の一途を辿っている。全国平均で見ればまだ二桁代の支持率を保持しているが、州により一桁の支持率まで凋落した。

参照 : faz.net

優れた首相を輩出してきた大政党がどうしてここまで衰退したのか、そして党首脳部が考え抜いた起死回生の一手について紹介してみたい。

終わりの始まり – シュレーダー政権

SPD の凋落の原因は2つある。まず最初は、最後のSPD首相となったシュレーダー政権の社会保障制度改革、”Agenda2010″。

参照 : wikipedia

よりによって労働者の権利を守る筈のSPD政権が手掛けた、社会保障制度の改革。改革と言えば聞こえが良いが、実質、手厚い社会福祉制度の廃止だった。生活保護から失業保険、年金に至るまで、国と企業側の負担を大きく減らした。

これによりドイツ経済は息を吹き返したが、金持ちはますます金持ちになり、中間層は貧困層に転落、持つ者と持たない者の格差が格段に広まった。

もう一つの原因は、SPD 首脳部の臆病さ。政治家も馬鹿ではないから、支持率低下の原因は百も承知している。しかし前党首のナーレス党首のように、頑なにシュレーダー政権の政策の見直しを断固として拒否した。

ヘッセン州議会選挙 – 二大政党の記録的な敗退

幾ら働いても生活が豊かにならない労働者は、沈船から逃げ出すねずみのように、SPD を見捨てた。

党内抗争に明け暮れる

これに拍車をかけたのが、終わる事のない党内抗争。社会民主党にはマルクスを引用してはばからないガチガチの左派から、ほとんど CDU に近い経済路線を主張する中道派がいる。そしてこれまで首相になってきたのは、ブラント首相を除き、皆、中道派だった。

その中道派の騎手であったシュレーダー政権の「行き過ぎ」を修正しよう!という党員の希望で、党首に就いたのが左派のナーレス(前)党首だった。女史の就任時には中道派も支持を表明したが、風向きを変えることができず、選挙で負けると、反旗を翻した。

しかも反対派に回ったのは、中道派だけではない。ナーレス党首の支持基盤である左派が、党首批判の先頭に立った。左派に言わせれば、女史はシュレーダー政権の誤りを修正すべきなのに、左派の信念を裏切って、改革を拒否した裏切り者なのだ。

こうしてナーレス党首は党内で孤立無援の状態に陥った。結果、(前)ナーレス党首は1年で辞意を表明、余程「同志」に対して怒りが収まならかったのか、すべての役職どころか国会議員からも辞職して、政界からきっぱりと足を洗った。

党内左派のスター、キューナート氏

ナーレス党首の首を取ったのが、SPD 青年党員組合長のキューナート氏だった。氏はマルクスさながらのバリバリの左派で、「BMWなどの大企業を国有化して、(旧)ソビエトのようのコルホーズ経営に移行すべきだ。」と語っている。

参照 : spiegel.de

今時左翼政党の政治家だって、私企業の国営化を唱えたりしない。それをSPDの政治家が主張するのだから、どれだけ左翼思想に酔っているか、わかるだろう。しかし党内左派には、急進派ほど受けがいい。2019年11月に任期満了により、 SPD 青年党員組合長の選挙があった。

ここでキューナート氏は89%の投票率を獲得して、再び組合長に選出された。

参照 : sueddeutsche.de

現時点ではSPD内には、キューナートに匹敵するほど人気のある政治家は居ない。

SPD 人気投票で党首を選ぶ – 末期症状?

これがナーレス党首が辞任した後のSPDの末期症状の内情(惨状)だ。普通なら副党首が数人居て、党首が辞任すれば副党首が党首に就任する。ところがこの現状では、誰も党首になろうとはしなかった。そこで党幹部が集まり、対策を協議した。

誰が次期党首になるにしても、党員からの支持がなければ、また同じ結果になってしまう。ではどうすれば、党首が党員からの支持を得られるのか?そう考えた末にSPD首脳部は、人気投票で次期党首を選ぶことにした。

立候補条件

ドイツではジェンダー(性差別)問題が大きなテーマになっている。そこで新しい党首は一人ではなく、二人が就任する。そして最低でもその内一人は女性であるべしという条件が付けられた。すなわち女性二名が党首になるか、あるいは男女のカップルが党首に収まるとうわけだ。

この大前提を満たすため、「カップルでの立候補が良。」とされた。もし相手が見つからない場合は、一人でも立候補できるが、投票戦では不利になる。

又、党首として立候補できるのは、まずはSPDの党員である事。政治家でなくても、構わない。しかし最低でも5つの地方支部からの支援を取り付けること。こうして党首選に応募してきたのは、地方では名前が知られているが、全国版では名前の知られていないSPD党員だった。

意気地のない首脳部

これをみて、「党の首脳部から誰も立候補していない。」という問題が指摘された。日本の自民党の総裁選なら、首脳部の政治家が数名、名乗りを上げる。しかし党首の選挙なのに、誰も名乗りを上げなかった。むろん、これには理由がある事で、

  1. 名のない下級党員に人気投票で負ける恐れ
  2. 党首になった際のリスクの大きさ

という首脳部の意気地のなさがあった。人気低迷に苦しむ SPD の首脳部の頭にあるのは、現状維持。大臣の椅子に最後の瞬間まで座り続け、政治家を引退する羽目になっても、民間に下りおいしい役職に就くこと。これを危うくすることは避けなければならない。

そして今、SPD で一番危険な役職が党首だ。前任者は党内で支持を失い、1年で砂漠に消えた。連立政権はまだ2年の任期があるのに、間違って党首に選ばれてしまったら、同じ運命に遭いかねない。

こうした理由で首脳部の名前の売れた政治家は、誰一人立候補しなかった。税務大臣で副総理という要職にあったショルツ氏も、「今の職務に専念したい。」と、これを固辞していた。

財務大臣ショルツ氏の翻意

党首候補の締め切りの前になって、財務大臣のショルツ氏が立候補した。それもカップルで。お相手に選んだのは、ブランデンブルク州のSPD書記長の職務にある政治家で、全国的には全く無名のガイヴィッツ女史。

参照 : sueddeutsche.de

事実は明かされていないが、党首脳の同僚に説得されたようだ。というのも立候補者の中には、CDU/CSU との連立政権を解消する方針を明らかにしている候補者がいた。これは要職に就いている政治家にとっては、とってもマズイ。

彼らが万が一人気投票で党首になってしまったら、残り二年の任期を残して大臣の要職を失う。これを阻止するため、全国的に顔が売れている政治家が立候補しなくてははならない。そしてその白羽の矢が向けられたのがショルツ氏だった。

こうした集まったのが7組のカップルと1名の単独立候補者だった。

参照 : stern.de

SPD 人気投票で党首を選ぶ – 初回投票結果

党首候補者はまるで、「探せ、次のドイツのスーパースター」(注 1)のように全国を回って演説、党首選での支持を訴えた。この全国行脚は9月1日まで続き、9月16日までに党員が投票、10月中旬に得票結果が発表される。

もし誰かが過半数の得票率を獲得すれば、党首は決定。誰も最初の投票で過半数の票を獲得していない場合は、トップの二組の決選投票になる。その結果は11月末に発表される。年末の退屈なニュースの少ない時期だけあって、このSPD 党首選出の人気投票は、ある程度の注目を浴びた。

エスケン & ボーヤンスって誰?

第一回人気投票の勝者は予想通り(それとも予想外?)、名前が一番売れているショルツ財務大臣とガイヴィッツ女史のコンビだった。得票率は22.68%。ハンブルク出身で滅多に感情を見せることにないショルツ氏は、見るかにほっとした顔で、「安心した。」と結果をコメントした。

一方、第二位になったのはザスキア エスケン女史と、ノバート ヴァルターボーヤンスという全国では全く無名のコンビで、得票率は21,04%。そう、全く無名というハンデにもかかわらず、現職の財務大臣に迫る投票を得た。一体、エスケンとボーヤンって誰なんだろう?

まずエスケン女史だが、宅急便の配達やレストランで給仕をして大学を出た、まさに昔のSPDを代表する労働者階級出身。1993年からSPDの指名を受けて国会議員に当選。役職はない。

一方、ふたつの名前をもつヴァルターボーヤン氏だが、デユッセルドルフが州都のNRW州の出身だ。顔に似合わず、経済社会学でドクターのタイトルまで取った才能がある。

前のSPD政権では財務大臣に就任、スイスやリヒテンシュタインに口座を持つ脱税者のデータが入った盗難CDを購入して、脱税者が枕を高くして眠ることができなくした功績(?)がある。NRW州ではある程度名前と顔が知られているが、全国では全く無名だった。

なんで人気があったの?

では何故、この無名コンビがそんなに人気があったのだろう。それはその無名さ故、思い切った政策を売ることができたことにある。SPD 党員の多くは、メルケル首相だけが得する連立政権を1日でも早く解消して、党のこれまでの方針を修正することを望んでいる。

まさにこれを主張したのが、この無名コンビだった。言うなれば、党の支持基盤の後押しがあったのが、このエスケン & ボーヤンス のコンビで、党首脳部の路線を主張したのが、ショルツ & ガイヴィッツ のコンビだった。

SPD 人気投票で党首を選ぶ – 決戦投票結果

党の首脳部には、この無名コンビの躍進は脅威だった。決戦投票までの間、首脳部は顔が売れていることを利用して、ショルツ & ガイヴィッツ コンビに声援を送った。

参照 : merkur.de

テレビや新聞、ネットでショルツ & ガイヴィッツ コンビ がどんなに優れた候補であるか褒めそやす一方で、エスケン & ボーヤンス のコンビの応援に回った有力者はたった一人だった。誰だかわかるだろうか。勿論、この記事の中で名前を挙げている人物です。

Könismacher / 王様請負人

少し話が飛びます。中世の欧州を支配していたのは、オーストリアのハープスブルク家。神聖ローマ帝国を裏で操り、その支配地域はスペインからハンガリーまでに留まらず、メキシコまで支配下に置いた。

かってのローマ帝国に匹敵する大帝国を築いたのが、今ではお話にならないほど小さいオーストリアのハープスブルク家。

日本では戦国武将の織田家、豊臣家、それに家康家だが、井の中の蛙。権力、財力、支配地域で比べたら、お話になりません。そのハープスブルク家の王様を決めたのは、親族や領内の権力者が集まった会議。

16世紀にその会議が開かれて、次期の王様がカール5世に決まった。これを裏で操ったのが、アウグスブルクの商人で欧州一のお金持ち、ヤコブ フッガーだった。

参照 : tagesspiegel.de

このような人物を”Königsmacher / 王様請負人という。SPD の党首選出投票で、まさにその王様請負人として登場したのが、上述のSPD 青年党員組合長のキューナート氏だった。氏はCDU / CSU との連立解消を訴えるエスケン & ボーヤンス を支持した。

果たしてたった一人の氏の支持が、どれだけ効果があっただろうか。2019年11月末、SPD は決選投票の結果を発表した。

SPD 人気投票で党首を選ぶ  – 新党首 エスケン & ボーヤンス

SPD の新党首に選出されたのは、エスケン & ボーヤンス コンビだった。

参照 : zeit.de

得票率は53%と僅差ではあったが、勝利は勝利。この勝利の意味を考えて欲しい。大臣の要職にあった政治家ではなく、誰も知らない地方議員が党首に選出されたのだ。王様請負人の支持がどれだけ効いたか、あらためて言うまでもない。日本(自民党総裁選挙)では、有りないどころか、想像さえできない事態だ。

SPD 新副党首 キューナート

この選挙結果により、キューナート氏の発言力はさらに高まった。この潮時をみたキューナート氏は、「いざ、鎌倉!」とSPD の新副党首の地位に立候補して、選出されてしまった!

参照 : rbb24.de

得票率は70%で、かって100%の得票率で党首になったシュルツ氏には遠く及ばない。

SPD 首相候補にシュルツ氏を抜擢! – 今度も負け戦?

しかしそのシュルツ氏だって選挙で大敗を喫し、1年で党首の座から辞任に追い込まれた。就任時の得票率は、その後の成果を約束するものではない。感嘆すべきはキューナート氏の党員の動員力だ。党首脳部を相手に、たった一人で党首選挙の行方を決めてしまった。

若手で経験不足のため、BMW国有化発言などのミスはあるが、その政治手腕は認めなくてはならない。そしてキューナート氏には、さらに含むところがあった。

公約実現 連立解消?

新党首に就任したエスケン & ボーヤンスだが、公約を実行に移してCDU / CSU に対しての連立公約(条件)の練り直しを要求した。「要求に応じなければ、連立解消も有り得ますよ。」という脅し付きだった。これに対してCDU / CSU がどのように応じたか、想像できるだろうか。

CDU / CSU は新しい交渉要求を蹴った。

参照 : spiegel.de

2年前に同意に達して握手した内容を、党首が変わったからと言って、変更することはないというのだ。これにはエスケン & ボーヤンス も策なしだった。脅しを実行に移すこともできたが、党首に就任しての最初の仕事が連立解消になる事を嫌がった。

とういのも総選挙になれば、SPD の得票率はさらに下落、否応なしに野党に下る。そうなれば間違いなく、党首脳部の恨みを買う。これを避けたかった。

エスケン & ボーヤンス 最初の敗北

こうしてエスケン & ボーヤンス は連立交渉を始められず、連立解消もできず、就任早々、公約破りでその職務を始めることになった。ボーヤンス氏は地方政治の経験があるが、中央政府内での仕事は初めて。エスケン女史に至っては、中央政府はおろか、地方政治でも政府内の仕事の経験がない。

果たしてこれで SPD が支持率回復に向けての新しいスタートを切ることはできるのだろうか。その可能性はないとは言えないが、極めて低いだろう。折角、無名のコンビが新党首に就いたのだがから、その勢いを利用して、思い切った政策を敢行すべきだった。

しかるに失敗を恐れてこれまでと同じ、”weiter so”/そのまま、そののまま。これで支持率が回復できるわけがない。

キューナート氏の企み

しかしよりによって、あのキューナート氏が、連立を解消することに警告を発した。

参照 : stern.de

これまでの氏の主張から180度の転換だ。まさか氏が副党首になった今、すでに地位固めを始めたのだろうか?

氏の思惑は別のところにある。氏は中期的な戦略を描いており、それは2年後の総選挙だ。ここで SPD はかってない大敗を喫する。

その大敗の責任をとって辞任に追い込まれるのが、エスケン & ボーヤンス だ。党首が辞任して、党首に収まるのは誰?そう、副党首であるキューナート氏だ。これが理由で エスケン & ボーヤンス が今、連立を解消することに反対している。

今、連立解消してSPDが大敗しても、エスケン & ボーヤンス は辞任しないだろう。それどころか公約を守った事で、党内の支持を高めるかもしれない。そんなことになっては、氏の党首就任が遠のく。だからキューナート氏は、連立解消を警告した。

そしてキューナート氏のお陰で党首になったエスケン & ボーヤンス は、これを守った。まるで諸葛亮孔明のような見事な戦略だ。小国の蜀を率いて三国時代を築いた軍師のように、キューナート氏は落ち目の SPD の復活を遂げることはできるだろうか。

注1)探せ、次のドイツのスーパースター

ドイツの民間テレビ番組、RTL が米国で人気の番組をそっくりコピーして始めた番組。ドイツでも大人気で高い視聴率を誇っている。

参照 : rtl

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執筆者:

nishi

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